パーソナル・ショッパーは公に認知された仕事ではない。服を買う暇がないほど忙しいセレブの代わりに服を買い付けるプライベートな仕事だ。パトロンには自分のセンスを買われたわけだが、公に評価されるわけではない。その服を自分で身に着け、注目を浴びるわけでもない。華やかな世界だけに不満も鬱積しそうなのは想像に難くない。その陰のある女性、モウリーンをアメリカの女優、クリステン・ステュアートが魅力的に演じている。
「この物語の舞台に、ファッション業界を選んだのは、この業界以上に物質主義的な世界はない…そこで私は、そこに取り込まれながら、そこから逃げ出そうとする人物に惹かれていきました。そして見えないものの中に、救いを何とか探し出す人間を描きたいと思いました。見えないものの中に…」
オリビエ・アサイヤス監督本人がこのように言っているが、主人公のモウリーンはその「見えないもの」との未知のコミュニケーションを模索する。死んだ双子の兄のルイスは生前、死んだ後にサインを送るとモウリーンに約束したが、それは内容よりも、どのような形で伝えるかという問題だった。モウリーンは兄からのサインを待ち続けているがゆえに、まんまとなりすまされる。ルイスは文字などという安易な形でサインを送るはずがないと気づくべきだった。スマートフォンの快楽とは何だろうか。それはすぐに情報が引き出せること、すぐに返事が返ってくることである。つまり欲望が満たされるスピードだ。モウリーンはいつ来るかもどんな形で来るかもわからないサインを待ち続けているがゆえに、なりすまし男の「即答性」の餌食になる。
「私たちはこのようなコミュニケーション方法の人質になっています。時にはコミュニケーション・ツールが私たちをコントロールさえする」とアヤイヤスは言い、「中間者こそが力を持つ。媒介作用こそがメッセージの性質を決定づけ、関係性が存在よりも優位に立つ」とメディオロジストのレジス・ドブレは言う。重要な指摘であり、忠告だ。
私たちは同時に、なりすまされてもわからない、どこからか届いたのかもわからないメッセージを真に受けてしまうような、寒々しい人間関係を生きていることを思い出す。また、どんな人間かほとんど知らない人間が、どんな意図で押しているかわからない「いいね!」によって幸福感を得ていることも。なりすましだらけの薄っぺらな舞台装置の化けの皮がはがれると、廃墟の中で亡霊に話しかけていることが暴かれてしまうような。私たちはむしろ、モウリーンとルイスの人間の限界を超えた運命的な絆=コミュニケーションに思いを馳せるべきなのだ。
あまり触れているレビューがないが、映画の中でヴィクトル・ユゴーの降霊術が引用されていることを軽視してはいけない。ユゴーは肉体が滅びても、魂は生き続けると信じ、亡命先のジャージー島(あの『レ・ミゼラブル』を完成させたのもこの島だ)の邸宅で当時流行っていた降霊術を使って、死んだ愛娘レオポルディーヌとの交信を試みた。いわゆるコックリさん方式で、テーブルの上にみんなで手を置き、机がカタカタなる回数を数えて、アルファベットに置き直した。降霊術が流行した背景には、19世紀に生まれた新しい技術、電信技術の普及が背景にあったと言われる。「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験は、当時の人々にとっては本当に魔術のように思えたのだろう。
ユゴーの前に現れた霊は文字で交信することを拒否し、まさに死者との交信はモールス信号のような「音」で行われた。文字を操るしかない文学者たちも当時、電信技術に脅威を感じていたようで、ユゴーですら文字はあまりに日常的で安易な方法に思えたのだろう。アルファベットに置き換える必要があったとはいえ、音という直感的なものを媒介とすることに魅了されたのだ。一方、ケータイやスマートフォンの登場で、私たちは以前にもまして、文字を読み、文字を書くようになった。文字に回帰し、依存するようになった。そして毎日せっせと短くて深みのないメッセージを消費し続けている。
19世紀のフランスの交霊術の研究者、アラン・カルデックによると、現世において前世の記憶は凍結されているが、霊的な世界に行くと、これまで転世してきたすべての記憶を思い出す。つまり、霊は記憶情報のようなもので、ちょうど私たちがインターネットに接続して、情報の膨大なストックを呼び出すようなものだ。そのうち、前世の記憶と交流するように、他人の人生を経験できるガジェットが開発されるかもしれないが、今のところはせいぜい文字や画像や動画のやり取りができるだけだ。
それに一個人がインターネットで実際に活用できる情報はほんのわずかで、逆に失っているものの方が圧倒的に多いのかもしれない。常にスマートフォンのメッセージをのぞき込むモウリーンの姿は、彼女が邸宅の暗闇のなかでルイスのサインを待っている姿と重なる。それは一方的に見られる非対称な関係だ。死者は私たちを見ているが、私たちは死者が見えない。かすかな気配のようなものしかわからない。ちょうど、インターネットの向こう側で悪霊のような様々な悪意が私たちをハッキングしようと待ち構えているように。国家さえもこの回路を通して私たちを盗聴し、監視しようとしているのだから(共謀罪!)。
刑事に尋問されるモウリーンの姿は、監視社会では挙動不審者である自由もないことを教えてくれる。つねに言いがかりをつけられるので、一貫性のある行動をとりながら、アリバイ作りにいそしまなければならない。人に説明できるように交換価値に基づいて合理的に行動しなければならない。監視社会の真の恐ろしさは、人生が退屈なゼロサムゲームに貶められることだ。痴情のもつれによる殺人事件に巻き込まれたモーリンが刑事の前で話すことは、ことごとく胡散臭くなる。モウリーンにとって一貫性のある行動が、客観的に説明のつかない、極めて不可解な行動になる。霊感があって、死んだ双子の兄のサインを待っているという状況は、合理的に説明できるどころではなく、気狂い扱いされるだけだ。
最近、ハリウッド版が公開された「Ghost in the shell」のように、一方でスピリチュアルな世界はインターネットによってさほど違和感のない、むしろ親和性のあるものになってきている。死んだルイスは遍在している。インターネットのように、中東にもついてきて、モウリーンにサインを送り続ける。彼女もまたパーソナル・ショッパーという仮初めの仕事をこなしながら、都市を転々とする根無し草だ。またパリで英語を話す外国人でもあった。彼女を中東に呼び寄せたボーイフレンドもフリーランスのプログラマーのようだ。定職に就いて定住するよりも、インターネットを供給源にして、彷徨う霊魂のように生きる。
そして、私たちは最後に、モウリーンがルイスのサインを確認しながら、中東のしたたかな光に包まれる、希望に満ちた光景を目撃する。映像は何も説明せず、私たちに想像させるだけだが(なりすまし男からモウリーンを救ったのはルイスであることが示唆される)、ある最終な場所にたどりついた予感を確実に与えてくれる。それでも死を乗り越える交信は不可能だと誰が否定できるだろうか。ユングが言うように、神秘体験は神秘現象の存在を意味しないのだから。
■タイトル:『パーソナル・ショッパー』
■コピーライト表記: ©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR
■配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
■5月12日(金)、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国公開 監督:オリヴィエ・アサイヤス(『夏時間の庭』『アクトレス ~女たちの舞台~』)
出演:クリステン・スチュワート、ラース・アイディンガ―、シグリッド・ブアジズ
原題:Personal Shopper/2016年/フランス映画/英語・フランス語/1時間45分/シネマスコープ/カラー /5.1ch
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
公式サイト:personalshopper-movie.com ©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR
<STORY>忙しいセレブに代わり服やアクセサリーを買い付ける“パーソナル・ショッパー”としてパリで働くモウリーンは、数カ月前に最愛の双子の兄を亡くし、悲しみから立ち直れずにいた。なんとか前を向き歩いていこうとしているモウリーンに、ある日、携帯に奇妙なメッセージが届き始め、不可解な出来事が次々と起こる― 果たして、このメッセージは誰からの物なのか? そして、何を意味するのか?
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