「人生なんて瞬きするぐらいの長さしかない」と呟いたことのある映画評論家が、その言葉どおり、突然、この世を去った。彼の名は梅本洋一。享年60歳。横浜国立大学教授。元『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』編集長。現在、NHKラジオ番組『まいにちフランス語』の応用編で渋い声を聴かせてくれているあの人だ。情報によると番組の打ち上げの席で突然倒れ、そのまま病院に搬送されて帰らぬ人になったのだという。
1980年代から90年代にかけ、フランス映画を中心とする批評活動の中心にいた人物である。私は大学時代に彼の講義を3年ほど続けて受け、映画を観るということの基本的な姿勢を学んだような気がする。「この映画を観なかったら一体何のために生まれてきたのか」などという挑発的な言辞を吐くのが常であった彼の講義は、映画に対する果てしない情熱に溢れていたように思える。80年代後半にドゥルーズの『シネマ』を精緻に読むなどという高度な講義をやることが出来たのは彼ぐらいではなかっただろうか。それ自体が映画の一場面であるかのような講義を休むことなく彼は続けていた。
それにしても、彼の世代の映画評論家はみなレベルが高かった。蓮実重彦の薫陶を少なからず受けた松浦寿輝、四方田犬彦、兼子正勝、千葉文夫、丹生谷貴士そして梅本さんら新進気鋭の映画評論家たちが競うようにして映画批評を書き、我々はそれに導かれるようにして映画館に駆けつけたものである。その中でも最も学生を相手にした講義に情熱を燃やしていたのが梅本さんだったのではあるまいか。所属する横浜国大は言うまでもなく、学習院、早稲田などの近隣の大学に加え、東京日仏学院で繰り広げられた映画ゼミナールは15年以上も続いていたようだ。ゴダール、リヴェット、イーストウッド、カサヴェテス、北野武…彼らの映画は梅本さんの言葉と共にそこに在った。
彼はまた批評を書くのみならず、多くの映画人との交流を実現した稀有な社交家でもあった。初期のヴィム・ヴェンダースを日本に紹介し、長大なインタビュー本(『天使のまなざし―ヴィム・ヴェンダース、映画を語る』、共編、フィルムアート社、1988年)を刊行したのも彼であったし、トリュフォーのインタビューで言及されるだけで日本では全く知られていなかった映画監督ジャック・ドワイヨンを日本に招き、アテネ・フランセで特集上映を実現したのも彼である(恐らく1989年ごろ)。90年代後半にパスカル・フェランを招いたのも彼だ。そればかりではない。『カイエ・デュ・シネマ』などというフランスを代表する映画批評誌と契約を結び、その日本版を10年近くに亘って刊行し(出版社はフィルムアート社、途中から勁草書房)、執筆者の中から青山真治や篠崎誠など、世界の映画祭を席巻する映画監督を輩出するということまで成し遂げたのも彼だ。
あまりにも才能に溢れた彼は奇抜なことを思いつく人でもあった。彼自身も演劇研究者であった梅本さん(パリ第8大学ではフランス演劇の研究で博士号を取得)は、同僚であった美学者の室井尚と「共謀」し、横浜国大に唐十郎を教授として招へいするという当時としては大胆な人事を実現する。結果として、「唐ゼミ」はアマチュア演劇の枠を超えた劇団へと成長し、いまも活動を続けている(この辺りは室井尚『教室を路地に!横浜国大vs唐十郎2739日』、岩波書店、2005年を参照されたい)。そればかりではない。無類のラグビー好きというのはともかく、料理を作らせてはプロ級の腕前を持つ梅本さんは料理本を出版したほか、最近では建築関係にも本格的に足を踏み入れ、著書を上梓している(『建築を読む―アーバン・ランドスケープTokyo‐Yokohama』、青土社、2006年)。大学院では「都市イノベーション研究院」なる新しい学科の学科長を務めている最中での急逝であった。
彼の本は数多いが、もしも一冊挙げるとしたら私は『映画=日誌―ロードムーヴィーのように』(青土社、2000年)を迷わず選ぶ。現在出ているのは再版されたものだが、原著は1980年代の後半に刊行され、私はその頃にこれを読んでいる。この批評的エッセイでは、まさに都市から都市を旅するように映画を観続ける彼の足跡をたどることが出来る。アラン・タネール論や成瀬巳喜男論、ヴェネチア映画祭のリポートなどは彼でなければ書けない類のものであろう。「感傷的すぎる」という批判も一部にはあったが、深い知識に裏付けられているからこそ書ける一流のエッセイと言えるのではないか。
2012年の10月、NHKラジオの『まいにちフランス語』の応用編(木、金曜日)を彼が担当すると知った時は驚いた。彼が語学の教育にそれほど興味があるとは思わなかったからだ。しかし、ためしに聴いてみたら彼の映画狂ぶりがまるだしの番組で、「映画批評家梅本洋一は健在なり」ということを改めて印象付けた。30年前のトリュフォーへのインタビューをはじめ、映画批評家や女優など、様々なフランスの映画人との対話録音を通してフランス語の会話表現を学ぶという構成で、彼の面目躍如となる内容である。恐らくあと3週間分は録音されていると思うので、是非彼の流暢なフランス語を聴いていただきたい(NHKの番組サイトでは前の週の内容を聴くことが出来る)。
『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の休刊後、梅本さんは今度は『nobody』というネット販売が主体の映画批評誌を起ち上げ(2001年創刊、既に37号まで刊行)、同時に同じ名前のサイトで映画、ラグビー、建築を自由に論じるようになった。これを覗くと、梅本さんの最後の記事は2月6日に掲載されたものになる。アラン・レネの新作を論じたものと、大島渚の追悼文の二つだ。最後の記事が日仏のヌーヴェルヴァーグの作家であったというのも偶然とはいえ、梅本さんらしいとしか言いようがない。今はただ冥福を祈るのみだ。
不知火検校
不知火検校
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中