麻薬による幻覚には、五感のあいだと異なった観念のあいだの置換に加え、「主観と客観のあいだの置換作用」がある。ボードレールの『人工天国』では「外物を観照しているあいだに自己固有の存在を忘れて、やがて外物と混淆する」と言われている、例えば一本の木を見ているうちに、自分がその木になってしまう。つまり主客の置換作用の過程で「なりたいものに何でもなれる」、「自分の欲望が次々と実現している」ような錯覚にとらわれる。
この現象に関しては、ネットショッピングや検索エンジンに象徴されるような、これまでよりも格段に早く、あるいはほぼ瞬時に私たちの欲望を満たし、欲しい情報にたどり着かせてくれるネット上の様々なサービスを思いつくかもしれない。またインフラの問題としては、通信速度の劇的な改善に比例して私たちの欲望の対象への到達時間が短縮している。インターフェースのレベルで考えてみると、主客合一の経験に対応するのは GUI(=Graphical User Interface)のような直感的な操作性だろうか。GUI つまりはコンピュータ・グラフィックスとポインティング・デバイスを用いて直感的に操作できるようにすることが、Mac の原点と言われるが、マニュアルとにらめっこすることなく、自分の欲望の対象へ向かう機能がひと目でわかるようなインターフェースである。タッチパネル方式では、マウスをせわしなく動かしたり、力任せにキーを叩くことからも免れている。何もしていないかのように軽く触れるだけ。そうすることで対象とのあいだの距離も媒介物もあまり意識されない。まるで自分の望む対象を意のままに動かしている、あるいは欲望がそのまま実現されるような感覚に近づいていく(もちろん実際は様々なノイズが避けられないのだが)。それはアップル製品の「シンプルさ」とも関係している。
「シンプルなものが良いとなぜ感じるのでしょうか?我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるのです」。
これはアップルのデザイナー、ジョニー・アイブの発言だ。それは直感で使いこなせる使いやすさどころか、身体化された万能感を感じさせるほどまで機能的に、かつシンプルに作りこまれている。
ところで、ボードレールは常習者になったわけではなく、麻薬に対して批判だった。それは彼が芸術の根幹と考えている自律的な意志を持ち続けることが困難になるからだ。重要なのは麻薬をやるけれど、麻薬の奴隷にならないこと。つまりその能力を習得すると同時にそこから引き返すことである。ボードレールは麻薬のダメージを最小限に抑え、そこから無事帰還した人間を「千変万化のプロテウスの洞窟から逃げ出してきた勇者」や「地獄に打ち勝ったオルフェウス」になぞらえている。
ボードレールは麻薬体験に詩の理想が実現されていると感じたが、それは詩人の特別な想像力や構成力ではなく、麻薬の人工的な力によって誰にでも獲得されうるものだ。麻薬のダメージを受けないためには、その作用を外部に抽出すれば良い。ジョブズもまた LSD の高速の置換作用や情報処理能力に惹かれていたに違いない。それはまた「麦畑がバッハを奏でるような」美的な経験でもある。それらの経験を物質化し、プロダクト化して、詩人や芸術家のような特別な人間ではなく、「万人」が手頃な価格で享受できるようにした。みんなが LSD をやったら社会は大混乱するだろうが、その作用を外部に抽出して、プロダクト化すれば何ら問題はない。ジョブズは特に、ユーザー・インターフェイスの部分とインダストリアル・デザインの重要性に力点を置き、その部分だけは自身が陣頭指揮をとった。
「結局のところ同じ人間が増大させられたものに過ぎず、同じ数が極めて高い冪にまで高められたにすぎない」
この指摘も重要だ。ボードレールによると麻薬が見せる幻覚は「天のものであるよりはむしろ地のものである」という。つまり幻覚の内容は、個人の資質や記憶の限界を決して超えることがない。しかしその作用は本人の無意識の底に眠っていた記憶を余すところなく呼び覚まし、記憶=メモリーに蓄積されたものを徹底的に活用するのだ。LSDから学んだことは「いろんなものを歴史の流れの中に、人の意識の流れの中に戻すことの必要性」だとジョブズ自身が述べているが、それは情報と記憶のすべてを集めて現前させる、LSD の人間の知覚のキャパシティを超えた途方もない作用のことなのだ。この作用はまた、フロンティアを人間の内面と自己同一性からの解放に求める新しい資本主義ともパラレルなのだ。
ボードレールにとってハシッシュの幻覚は日常から切り離された新奇な世界でもなく、新たな詩の題材になるようなものでもなかった。ボードレールは幻覚のイメージを積極的に作品に取り入れることはなかった。「紙に印刷された文字」によってそれを再現するのは不可能だった。その代わりに麻薬の中に見出した人工的な作用を詩的な想像力の問題にかかわらせていく。幻覚の内容よりもその作用を抽出し、詩的想像力と同じ働きを自動的に行うものとして麻薬をとらえた。だから19世紀の半ばにおいて麻薬を「思考する機械の一種」として把握することができたのである。麻薬の幻覚の中で見えるものはありふれたもので、コンテンツとして新しいものは見せてくれない。同じように think different とは新しいものを最初から作り出すというより、飽和した世界の中で物事を違ったふうに見ようということであり、すでにある情報を高速処理し、知覚的な強度に訴えつつ、それらを余すところなく活用して、情報を読み替えたり、違った形で組み合わせようということなのだ。
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