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文芸批評界の巨星、堕つ――「脱領域」の批評家、ジョージ・スタイナーを追悼する

text by / category : 本・文学

比較文学研究の泰斗、ジョージ・スタイナーが2020年2月3日に亡くなった。パリに生まれ、仏、英、独の三言語に通じたスタイナーは、ジュネーヴ大学比較文学科の教授として1990年代半ばまで後進の指導に当たりながら、数多くの批評を執筆し、近年に至るまで欧米の文学界に君臨し続ける存在だった。文字通り、文芸批評界の「最後の巨人」だったスタイナーを、不知火検校が追悼する。

1929年にユダヤ人の家庭に生を受けたスタイナーは、ナチスによる迫害を逃れて幼くしてアメリカに渡り、その地で教育を受けることになる。第二次大戦終結後、シカゴ大学で学士、ハーヴァード大学で修士を取得した後、奨学金を得てイギリスに渡り、1955年にオックスフォード大学で博士号を取得。ただちに最初の著作『悲劇の死』を刊行して、文芸批評家としてのキャリアを開始する。と同時に、教育者・研究者として様々な研究機関(プリンストン大学、ケンブリッジ大学)を渡り歩いた後、1974年以降は20年以上に亘ってジュネーヴ大学で教鞭を執った。

両親がウィーンの上流ユダヤ階級に属していたスタイナーは当然ながらドイツ語を第一言語としていたが、ヨーロッパの迫害の歴史が彼に「ポリグロット」としての運命・使命を与えることになる。1952年から亡くなるまでにスタイナーが英語で執筆した書物は40冊以上、そのほとんどはフランス語に訳され、それ以外にも最初からフランス語で書かれた書物もあり、内容は多種多様である。シェークスピアからドストエフスキーまで、そして、ギリシャ悲劇からハイデガーまで、時間と空間を飛び越えて論じられた作品は数限りなく、その驚くべき博識によって文芸批評の世界を牽引し続けた。

『言語と沈黙』(1967)、『青ひげの城にて』(1971)、『アンティゴネーの変貌』(1984)など、代表作と言われるものだけでも数多いスタイナーだが、個人的には『悲劇の死』(1961)が圧倒的に印象に残っている。ニーチェの著書(『悲劇の誕生』)を発想源に、いかにして「悲劇的なるもの」が共同体の中で力を持ち、いかなる理由で衰退していったのかを明かそうとするこの書物は、学術的観点からは実証性において苦しい部分は確かにあるものの、その恐るべき筆力によって読者の心を揺さぶる。およそ、演劇に関して書かれた20世紀の書物の中でこの本ほど世界中で読まれたものは他にないと思われる(実際、日本でも十年おきぐらいに訳書が復刊されている)。

また、著名な哲学者である生松敬三によって翻訳された『ハイデガー』(1978)も忘れ難い書物だ。ここでスタイナーは、20世紀を代表するこのドイツの思想家が哲学の世界にもたらした衝撃を的確に論じている。原著が刊行された当時は、ハイデガーとナチスとの関連が取り沙汰された、いわゆる「ハイデガー問題」が本格的に議論の俎上に乗せられる以前だった筈だ。そのような時期に、哲学の専門家でもないスタイナーがこれほどまでにハイデガーの思想に通じており、なお且つ、その本質的な部分に批判のメスを入れているという点には、確かにいま考えても驚かされる。何といっても、篤実な哲学研究者である生松氏が翻訳を担当するほどの書物だったのだから。

これも個人的な体験だが、25年ほど前のパリで、市民向けの文学講演会に姿を現し、圧倒的な弁舌を披露したスタイナーの姿がいまでも鮮やかに記憶に残っている。当時はまだジュネーヴ大学教授であったスタイナーは、満席の聴衆を前に、シェークスピアの先進性・先見性について熱く語っていた(当然ながら、フランス語による講演)。質疑応答の際、恐らく大学教員であろう聴衆の一人からの執拗な異議申し立てがあったが、それに対してスタイナーは柔和な笑顔を崩すことなく、ひとつひとつ丁寧に返答していたことが強く印象に残った。彼の謦咳に接したのはそれが最初で最後であったが、「強靭な知性」というものを信じることが出来た、いまとなっては稀有な時間だったように思う。

振り返ってみれば、スタイナーを翻訳し、その業績を日本に紹介したのは由良君美(1929-1990)であった。由良もまた英文学という土台がありながら、その狭い枠組みを悠々と乗り越え、自由自在に批評活動を展開した類い稀な文学者であった。すでに30年前に亡くなっている由良だが、スタイナーとは同い年であったということに、いま更ながら気づかされる。スタイナーの著作Extraterritorial: Papers on Literature and the Language Revolutionを由良が「脱領域の知性」と訳したのは有名な話だが、スタイナーや由良のような「脱領域」を極める批評家は、そのスケールの大きさを考えれば、今後はなかなか現れないだろう。

□上のスタイナーの写真:Steiner speaking at the Nexus Institute, The Netherlands, 2013
TheNexusInstitute[CC BY (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]






posted date: 2020/Feb/11 / category: 本・文学

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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