2019年11月23日(祝)、六甲茶房にて、マルグリット・デュラスの『ボア』という作品を課題本として、読書会をいたしました。忘年会をするにはちと早い時期でしたが、この後小洒落た居酒屋風イタリアンで、おいしいワインとおつまみに舌鼓を打ちながら、今年の読書会の反省会?をいたしました。
さて、今回の読書会では、今更なのですが、デュラスの凄さを垣間見ることができ、またNeversさんには、デュラスの深い読みを存分に提示していただけました。個人的にデュラスといえば、学生の頃に、ストーリーもなくひたすら延々と流れる川の映像が映し出される彼女の映画を見て、さっぱり意味が掴めなかったことを思い出します。そして1992年に公開された映画『ラマン』、日本でも話題になり、院生だった当時映画館で見て原作も読んだはずなのですが、そのエキゾチシズムにばかり気をとられ、やはりあまり意味がわかっていなかったように思います。
しかし今回初めて彼女のこの短い作品『ボア』を読んで、ここにデュラス作品に通底するであろう、激しく奔り出る生と性が凝縮されているように感じました。
出口を狂おしく求める少女の溢れ返る若さは、獲物を丸呑みにする王蛇(ボア)の残虐性に重なります。そして75歳を過ぎた裸の肉体の死の匂いもまた、行き場を失った生と性の裏返しなのでしょう。デュラスをご研究されているNeversさんの専門的なご指摘も大変参考になりますよ。
学生時代に『モデラート・カンタービレ』を読んだことがあるが、デュラスの作品はとても難しいと感じた記憶がある。今回の「ボア」も、かつて一度読み、そして今回も何度か読んだのだが、自分にとってはやはり難解だ。
まずこの作品のキーワードである「呑みこむ dévorer」ということば。Neversさんの解説によると、このdévorerということばはデュラスにとってとても重要なことばであり、愛の表現としても使われるという。大蛇が獲物を呑みこむのはもちろんわかるのだが、それと対をなす「悔恨がバルベ先生を呑みこむ」という表現がなかなかイメージしづらい(Neversさんもボアとバルベ先生を対立させるためにdévorerということばで無理やり繋げたのでは、とのことだった)。
そして後半、バルベ先生のようにならないために「わたし」が望んだことが娼婦になることである、というのもわかるようでよくわからなかった。なぜ一挙にそこへ飛んでしまうのか、また「処女でなくなる」ことがまだ十代半ばの少女になぜそれほど重要に思われたのか、など「わたし」の不思議な思考は、モノローグと化した終盤に進むにつれてさらに謎めいていく。Neversさんからこの当時のデュラスについてうかがいながら、この「わたし」の不思議さを考えることは、デュラスという人と作品を考えることであるとつくづく思った。
とはいえ、大きな蛇が生きたままの若鶏を呑みこむことと、75歳のバルベ先生が「わたし」だけにピンクの下着姿を見せることという、一方だけでもどきりとさせるできごとが、1日に連続して起こり、それが毎週繰り返されるという、その内容だけですでにこの作品は異彩を放ち、私たちに強烈な印象を残す。原文も見せていただいたが、一部を読むだけで非常に音楽的で美しい文章で綴られていることがわかった。短編ながらもデュラスの特徴や魅力が存分に伝わる作品なのはまちがいない。
『ボア』(1954)は、自伝的作品であるとされる『太平洋の防波堤』(1950)と同様に、デュラスに「書くこと」の動機を与えた個人的経験に基づいている。デュラスの最古の資料と言われる『戦争ノート』(2006)は、デュラスの死後に関係者によって出版されたものだ。残っていた四冊のノートを扱っているが、その一冊目の「大理石模様のピンク色のノート」(1943)には、『太平洋の防波堤』や『ボア』のいくつかの草稿が最初のページに書かれており、そこには「インドシナにおける子供時代と青春時代」と小見出しが付けられている。この『戦争ノート』は「書かないでいたら、こういうことを次第に忘れてしまうだろう」という理由で、デュラスが作家としてデビューする1943年から1949年までの七年の間に書き付けていたノートである。『ボア』については、作品の中心軸を構成する、年老いた校長と13歳の少女という二人の処女が対峙するというエピソードが書かれている。そのエピソードは自伝的故の力を持っていて、「書くこと」の原動力になっていたに違いない。というのも、このエピソードは変更を加えられ、以後の作品に再登場するからである。
1943年の時点で書かれたノートでは、二人のシーンは、左の胸に癌腫を抱えている校長のC嬢が、毎日曜日の午後、寮生の「私」と二人きりになる部屋で展開される。「彼女は胸をはだけ、窓に近寄って、私に胸を見せる。私は思いやりをはたらかせて二、三分間それをじっと見つめる。」その後で二人は植物園へ散歩に出かけるのだが、ここにはボア(大蛇)に関する記述はまったくない。
次にこのエピソードは、サルトルが創刊した雑誌「現代」に1947年に掲載された。そこでは、当のシーンでは、C嬢はバルべ嬢という名前で登場し、彼女は1943年のノートと同じく、自身の胸に広がる癌の跡を「私」に見せるのだが、それは毎回ボアを見に行った後で行われる。バルべという名前、ボアの登場などが『ボア』と重なるが、彼女が見せつけるのは傷跡であって、『ボア』でのようにピンクの下着ではない。バルべ嬢が高級下着を自慢するのはいわば言い訳であって、実際は裸身を見て欲しいわけだが、そこにピンクの下着を介在させて、よりグロテスク感を増す効果を出している。ここにデュラスの「通俗性」のほんの一端が見て取れる。このような「通俗性(わかりやすさ)」について、デュラス自身が言及している。デュラスは対談の中で、自作の人気の高い『タルキニアの子馬』や世界中で上演された『ラ・ミュジカ』などをあげて、「わたしはあの手の本なら、その気になれば二週間で書き上げられるの。わたしのうちには、そういう通俗さがある。そういう面をわたしは持っている。一種の安易さというか、学校に行っていたときもあったけど、それと同じものよ」と豪語(もしかしたら、自己弁護か)している。
『ボア』に顕著な二項対立の多用も、わかりやすさを手助けする。ボアと若鶏、悪と善、肉体の若さと老醜、嚥下という行為(ボアの若鶏の嚥下と悔恨がバルべ嬢を飲みこむ嚥下)、ピンクの下着姿のバルべ先生と、清潔で真っ白の私の乳房の対比、そしてやや陳腐な表現とも言える「昼の怪物たるボアと夜の怪物たるバルべ嬢」。これらの際立つコントラストの効果によって、ノートに書き留めていたエピソードが、物語作品へと姿を変える。
一方『ボア』では、60年代以降のデュラス作品の魅力のひとつと言える難解さ・晦渋が先んじて発揮されていて、その作品に奥行きを与えている。難解さ(わかりにくさ)は、13歳の少女が「処女を始末してもらう」ことを夢想することや、処女を捨てることが当時では一人前の女性になることへのイニシエーションでもあるかのように書かれていることにも潜んでいる。1968年に、デュラスは「あなたは誰に魅了されますか」というインタビューに答えて、「娼婦。狂人。犯罪者。」と答えている。その答えはすでに『ボア』の中で、少女の「犯罪者や娼婦への共感」としてすでにほのめかされている。長期にわたってのデュラス読者である筆者から言わせていただくと、彼女の作品を読みすすめるうちに、娼婦も狂人も殺人者も、彼女自身の恐れから生まれたものだと理解し始めるのだが、しかし『ボア』の作品内だけではよくわからない。しかしわからないながらも何か感じられる、何かが引っかかるというのが、デュラスの呪縛性であり、それも読者を魅了する一因である。
『ボア』の13歳の少女は、『愛人 ラマン』では15歳半として登場し、母親の任地から「サイゴンの寮」へ帰っていく河の渡し船の上で、中国人の愛人と出会う。その少女については次のように書かれている。「欲望のための場所がわたしのなかに用意されていた。15歳で悦楽を知っているような顔をしていた、でもわたしは悦楽を知らなかった。」
そして、「処女を処理してもらうこと」を夢想した『ボア』の少女は、「うむをいわさぬ宿命的な情念に突き動かされて« 種としての匿名状態 »での行為を望んだが、『愛人 ラマン』の少女は、行為の前に「彼女は男に言う、あなたがあたしを愛していないほうがいいと思うわ。たとえあたしを愛していても、いつもいろんな女たちを相手にやっているようにしてほしいの。」と男に伝える。まさに、二人の少女は同一人物なのである。
デュラス世界には印象的な女性が多く登場する。彼女たちはたとえ結婚していても、それぞれに愛人を持っている。そこで描かれるのは恋愛ではない。描かれるのはただ性愛だけだ。「何ものかへの渇きに駆りたてられ、しかしつねに受け身で、性愛へと開かれた女」と重要人物のアンヌ=マリ・ストレッテルについて言われる。彼女はデュラスが「女というものの原型(モデル)である」という女性である。しかしながら、そのモデルの元々のところにいるのが、『ボア』の13歳の「私」ではないのか。自伝的物語の中の「私」はデュラス自身でもある。デュラス作品世界では、女達はこのように有機的に繋がっている。
『戦争ノート』は、デュラス自身は生前には、本として発表することなど思いもよらなかったに違いない4冊の市販のノートであるが、そこには彼女の細かな字で几帳面に流れるように文章が書き連なっている。「書くこと」とはまさに、このようにして文字を書き込むことだと、作家にならんとするデュラスの営為、エクリチュールの実践を実感する。
『ボア』の中で、私が一番好きな文章は次である。
「わたしたちはまた、手淫にふける手長猿とか、マングローヴの茂る沼地に生息する黒豹が、セメントの地面の上で息たえだえになっているところも見に行った。その豹たちは、彼らのおそろしい苦しみを眺めて、嗜虐的な快感にひたっている人間の顔からかたくなに目をそらし、鉄柵ごしに、猿の群れが氾濫するアジアの大河の緑の河口を、じっと虚空に夢見ているのだった。」動物園に行く度に脳裏に浮かぶフレーズである。
呑み込んだ若鶏の真白い羽毛を散り敷いてまどろむボア。70を越えた女校長の桃色特上レースのシュミーズ姿。2つのものすごい絵にまず圧倒された。13歳から15歳の多感な2年間、毎週末この両方を見物した主人公の少女が育んだ特異な世界観にも。
ボアと老校長バルべ嬢はこの世を構成する2つの世界を体現している。生・性・死が並存する「うむを言わせない」世界では、ボアは若鶏を丸呑みするのが秩序であるように、女の体は男に使われなければならない。結婚により正しく男に体を使ってもらえない娘も、売春婦になればプールの更衣室のような娼家で男に処理してもらえる。半裸で嘆くバルべ先生のように「使ってもらえなかった人」の世界に落ちずに済む。
第一次世界大戦後の仏領インドシナで、学費が払えず「まともな結婚が望めない教養のない娘」に身を落とす可能性に怯えつつ寮に逼塞する世間知らずの少女の達観と不安の産物として、この世界観を受けとることもできるかもしれない。しかしそのあまりの奇抜さと無機質さは追憶の繊細なヴェールに包まれることを拒否し、小説全体に独特な強度をもたらしている。
少女時代の思い出に基づく作品だと聞いてはいたが、今回「下着姿は創作」と伺って驚いた(実際に見せられたのは手術痕だった)。世界観そのものが拵えものだったわけだが、結婚出産を経て中年となった作者は、そこに幻想ではない一筋の真理を見せようとしていたのではないか。百年近く前の少女が想像した閉塞感あふれる世界は、今を生きる少女の前にもあるように思う。娘達は自由なように見えて、「使われる身体」としてより徹底して監視品評されている(嘆かないバルべ先生はずっと増えたが)。
バルべ先生への手厳しさも印象に残った。異国で女子教育に身を捧げてきた立派な女性の裏の顔は吝嗇で(2年間日曜のお茶にはバナナしかでない)、エゴイストだ。最も弱い立場にある生徒を自分の楽しみのために使うことに躊躇しない。黒レースのブラウスから漏れ出す老臭は、先生の中に積もった偽善・虚栄の匂いであるかのように描かれている。押し隠してきた内面の腐敗に気づかず、他人を踏みつけにできる。人間のそんな一面に、作者は烈しい憤りを抱いていたのではないか(沈黙を守った少女の自分への嫌悪もあるのだろうが)。
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