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第1回目FBN読書会を終えて:エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(1992)

text by / category : 本・文学

記念すべき第1回目の FBN 読書会は課題本にエルヴェ・ギベールの『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』を選び、2018年7月15日、神戸元町のブラッスリー、ロバボンにて開催されました。読書会のフィードバックを原稿到着順(Goyaakod、Exquise、Nevers、Noisetteこと武内英公子)に掲載します。


Goyaakod

タイトルにひるんで手に取らぬまま20年近くが経ち、縁あってようやく読むことになったわけだが、しんどい読書だった。

センセーショナルな告白の書にしては、冷静。ずーっと曇天、という印象だ。病を疑い、最終的に検査を受けHIVポジティヴと認定され、特効薬となりそうなワクチンを求め振り回されたこれまでと、体調の変化が淡々と綴られる。その時々のギベールの心の動きも書き込まれているが、愚痴はあっても絶叫はない。数頁ほどの長さの問わず語りの断片が時間を行きつ戻りつして並ぶスタイルも手伝ってか、本に入ってゆきにくかった。

この本の主人公である私、エルヴェ・ギベールその人についてゆけないところがあったからかもしれない。レベッカ・ブラウンの小説をはじめとする、これまで読んできたエイズに言及した本に登場するこの病を得たまじめな人達とは、彼は違っていた。感染が判明してもよく知らない若い彼達とひととき限り楽しむことにためらいはないし、自分のことを「神も法も恐れない殺し屋」なんて嘯いてみせたりする。こうしたこの病に捕われすぎないスタンスが、作品から湿度を排してくれてはいるのだが。

それでも、エイズには「甘美なもの、魅惑的なもの」がある、とか、「潜伏期間の6年間と、さらにAZT(※当時唯一入手できた治療薬)による最高2年、AZTがなくとも数ヶ月は生きられるという期限を保証してくれるエイズは、ぼくたちを生に対して十分自覚的な人間にし、無知から解きはなってくれるのだ。」などという物言いに出くわすと本を閉じたくなった。執筆されたのは80年代の末。この病気について全く知らないはずはないのに、そう言いますか。

なんとか踏みとどまれたのは、彼のことではない話―仮名にしてあるものの容易に誰だか判断がつく二人の有名人、イザベル・アジャーニとミシェル・フーコー―のことが書かれていたからだろう。特に同じ病で4年前に亡くなった彼のメンター、フーコーが死に向かう姿を描いた文章は、この本の最良の部分と言える。

読書会に向けてギベールがこの本を書いた時代に触れたゲイ文学を読んでみた後、改めて読みなおすと、一読した時とは印象がかなり変わった。

例えば、この本では自分のもの、他人のものも含め容姿についての具体的な記述がたびたびでてくる。ギベール本人の、かつて天使のようと賛美されたブロンド巻き毛の美しい顔立ちと、病によって痩せ衰えてゆく姿。初めて読んだ時には自分が好きな人?という印象しか持たなかったが、こうした記述は字面以上の意味を持っていたのではないかと思う。ギベールが生きた時代のゲイの文化では、見た目というものがそれなりの意味を持った。(フーコーの言う「街頭での一瞥、4分の1秒単位での決意」で事を動かすことが関係を作るときに求められる傾向もあったから、より切実なものがある)。決まった人がいても別の誰かとその場限りのカジュアルな関係を持つのは「あり」だった当時、人をその気にさせるだけでなく相手に対し優位にも立てる自分の美しさにギベールが意識的であってもおかしくはない。その容姿が病によって変容してゆくことへの怖れは大変なものではなかったか。混んだ列車にもかかわらず自分のまわりの席には誰も座ろうとしない、と記したくだりでは彼が受けたショックの大きさが読み取れる。感染前の自分の立ち位置から追われどうなるのかわからないという不安が彼の問わず語りの下に蠢いているようだ。

また、ギベールはまだ「途上」の人であったことを思わずにはいられない。作品発表から約2年後、彼はエイズに典型的な症状に苦しんで亡くなった。この本を書いていた頃のギベールは、まだエイズ患者を生きてはいなかったのではないか。エイズをロマンティックに捉えるような物言いをするだけの余裕があるだけではなく、自分の身に何が起こるかがわかっていなかったのではないか。透けて見える「その後」とともに眺めるギベールの姿は、ずっとはかなげだ。

この作品の刊行によりエイズ感染を公表して人気テレビ番組にも出演したギベールは一躍時の人となり、病の進行と並行して有名人を生きることになる。そんな特殊な環境に置かれた自分を題材に、ギベールは次々と作品を発表していった。選ばれた特別な私ではない、一人の患者として。

Exquise

ここには、エイズを宣告されてパニックに陥り、とりとめもなく文章を書きまくる(時系列が無視される、長々と文章が書かれているわりにははっきりとしたことが伝わらない)ギベールと、ひとまず書き終えることができて客観的にこの小説を見つめている(100の断章にまとめ、フーコーやアジャーニに偽名を与えるなど小説としての体裁を整える)ギベールがいる。また、急速に体が衰え、死が眼前に迫っていることに恐れおののき、生きたいともがく姿が痛切に感じられる一方で、死にゆく自分の姿を美しいと思うナルシストの一面も見られる。

ギベール自身が最後にこの小説を「入れ子構造」と述べているように、さまざまなギベールの姿が入れ子構造のようにあらわれるのであり、それがこの小説、というかギベールを手放しに好きにも嫌いにもなれない理由になっているように思う。

Nevers

『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』はゲイ小説として特権的地位にある。それは、当時不治の病とされていたエイズという火の粉が自身にふりかかってきたとき、ギベールは、エルヴェ・ギベールとフルネームで実名を名乗り、作品に登場した。この機を逸することは、<書くこと>を生業とするギベールにとってあってはならないことだ。ギベールは、自分以外の登場人物はファーストネームを割り当ててフィクションという外堀を埋めながらも、<エイズ>と<ぼく>を書くことを決心する。「ぼくはあたらしい作品にとりかかっている。作品が友だち、話し相手であり、いまや我慢できるたったひとりの友だちだ。」

敬愛するフーコーをモデルにしてミュージルを登場させるが、いくつかのエピソードを暴露するときは自責の念に襲われもする。「なんの権利があって、こうしたことをなにもかも書きとめるのか?なんの権利があって、友情をこんな風に傷つけるのか?それも、心から尊敬しているひとかどの人物にたいして?」 

しかし、ここでやめることなど出来はしない。書き続けなければならない。それ故自分に言い聞かせる。「全権を委任され、こうしたおぞましい記録をまかされた気持ちになったのだ。いま書きとめているのは、友人の最期というよりむしろぼくを待ちうけている死との闘いであり、自分もこうなるにちがいないから、ぼくには十分その資格があると思いこんで、この記録を正当化していた。」

イザベル・アジャーニをモデルとしたマリーンに対しては、「ぼくはマリーンを憎んでいた」と彼女の裏切りを告発する。しかしエイズにかかっていると噂されていたマリーンが実はそうではないことがわかると、「がっかり」し、以後マリーンに言及することはない。

恋人のジュールとは、どこまでも共犯者だ。100の断章で成り立つちょうど中間の50で、ジュールと自分がともに抗体陽性であることが確認される。その時ギベールは奇妙にも自分が、エイズ感染という過酷な状況に一種の喜びを見出していることに気づく。やがて確実に訪れる二人の死。ここから死の恐怖と渇望を<書くこと>へと舵がきられる。

もうひとり重要な人物がいる。エイズワクチンを製造している大手製薬会社の研究所長ビルだ。年長のビルはギベールにワクチン接種を約束したのだった。「エイズにかかったのが、なぜぼくで、その悪夢を消すことのできる方法を世界で最初に手にするひとりが、なぜ友人のビルなのか?」

ギベールは、救済者であるはずのビルからの福音を待ち続ける。しかしビルは一向に約束を実行に移す気配をみせない。次第にビルへの疑念が増幅する。「それは強烈なめまいをともなう疑念で、自分でも信じられなかった。」

ギベールは言う、「自己をあばき、曰く言いがたいものを明らかにしようとしているぼくにとって、エイズは規範なんだ。」

規範とはどういうことなのだろうか。自分という存在の、真・偽、善・悪、美・醜、そして生・死を実現する拠り所ということなのだろうか。一方、ビルにとってエイズは……。

ビルに対して疑惑が渦巻く。彼の裏切り、不誠実に対して憎しみの気持ちがあふれる。「ビルのことを卑劣な男と気づくまで、ぼくはまったく非の打ちどころのない人物と思っていた。」

それは裏返せば、ギベールの「救われたい」という気持ちの反映であった。ビルに対して全面的に服従していただけに、彼への失望と鬱憤は計り知れない。

このビルへの失望と鬱憤が、ギベールの<書くこと>の原動力となる。「ぼくは腹をすえて、延命のことなどいっさい考えずに、この小説じみた筋書きにとことん付き合ってみようと決心した。すっかり魅了されてしまったのだ。もちろん、書いてもいい。たぶん、ぼくは常軌を逸しているのだろう。命よりも本を書くことに執着している。命を惜しんで、書くことを放棄する気はなかった。」

ギベールはビルを、「ぼくの命を救ってくれなかった友」と呼ぶ。その実逆説的ながら、ギベールを<書くこと>への高みへ押し上げたのは、ビルであった。ビルは、ギベールの攻撃的で傲慢なタイトルの『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』を書かせるに至らしめ、その結果、ギベールの作家としての命を救ったのだった。ギベールは本書によって、かがやかしい成功を手に入れた。

ギベールが成功の余韻に浸るあいだにも、時間は容赦なくすすむ。『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』までは、書かれるギベールと書くギベールが作品を両方から支えるかたちで、並走してきた。しかしエイズの症状はすすむばかりだ。書かれるギベールの苦痛と苦悩は、書くギベールを圧倒するだろう。その予感にギベールは怯える。「にっちもさっちもいかない状態だ。」

ギベールは本書が刊行された翌年1991年12月27日に亡くなった。

Noisetteこと武内英公子

今回課題本となった『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の翻訳原本は、1990年に発表されたエルヴェ・ギベールの自伝的作品A l’ami qui ne m’a pas sauvé la vieである。自らのエイズ患者としての体験、自分にエイズの最新の治療法を受けさせてやると約束していたのにそれを反故にした「友人」ビルの裏切り、やはり「友人」であったミシェル・フーコーのエイズによる死、イザベル・アジャーニの気まぐれな心変わりによって頓挫した映画の企画話などが主に語られている。これらのスキャンダル的要素と自らの病気の進行を詳細に書き記したドキュメンタリー的価値によって、本書は世界各国の言語に翻訳され一躍ギベールの名は知られるようになった。

エイズという言葉を初めて耳にしたのは、石橋楽器のポスターで日本でも有名になった宇宙人のような風貌のクラウス・ノミが、1983年に「エイズで真っ先に亡くなった有名人」として亡くなった時であったと記憶している。そして次の年1984年にミシェル・フーコーが亡くなった時も表立ってそうとは言われなかったがエイズによる死と囁かれていた。しかし1986年に公開された『汚れた血』で「愛の無いセックスで感染する病」という明らかにエイズに触発されたモチーフが描かれ、そしてそのモチーフに若かった私がロマンティシズムを感じていたことを鑑みるに、「エイズ」という言葉にはまだ物語が介在する余地があったのだと思う。

さて『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』では、映画製作を巡ってのアジャーニとのいざこざが大きく扱われている。若い頃よりギベールは映画監督になるという志望を一貫して持ち続けていたそうなので、アジャーニの裏切りは許し難いものであったのであろう。彼はすでにジャーナリストとして映画・写真に関する記事を書き、同時に写真家としても活動しており、ミニュイ社、ガリマール社を中心にコンスタントに文学作品を発表し続けてもいたが、本格的に彼が注目されたのはやはりこの作品によるところが大きい。その証拠に『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の出版後、1990年3月に彼はベルナール・ピボが司会を務め、認められた作家だけが出演することのできる書評番組『アポストロフ』に出演することになるのだから*。

*https://youtu.be/en9OWEvf_Cw

ギベールの作品はもともとどれも自伝的要素が強いようだが、この番組の中で彼が強調していたのは、『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』はエイズをテーマとした文学作品であるということである。フーコーが自分の死因について秘密にしていたにも関わらずそれを暴露したことを非難されていることに関しても、フーコーの死と苦しみは誰のものでもなく、自分は多くのエイズによる死の証人であり、「いまや、ぼくたちが友情のほかに共通の死の運命によって結ばれている」のだから、結局は自分自身の死がモチーフなのだと語っている。彼にとって体験は「フィクションを生みだすためのベース」であって、「書くという行為は悪魔祓いの試みと祈り」であり(*)、「書いてあることは全て真実であるが、同時に入念に構築されたロマン(小説)」なのである。

*スーザン・ソンタグは『エイズとその隠喩』の中で「病人にとって、書くこととは、想像力をかきたてることではなく、鎮めることだ」と述べている。

また彼は番組内で、この作品が自分を裏切った友人を「象徴的に」殺す道具なのだとも言っている。「針をもっていって、ビルが席を立ったすきに、傷つけた指を赤ワインのグラスのうえでぎゅっとしぼって」やればよかったのに、と友人のジュールに言わせている場面について、ガリマール社の校正係のマダムが、「ギベールさん、意地悪かもしれませんが、私だったらやってましたよ」と言っていたと、笑いながら語っているギベールを見ていると、彼がエイズで番組出演後、91年末に亡くなるのだという事実が不思議に思えてくる。

時間がない差し迫った状況の中での、かつて愛した、そして今も愛する友人たちとの「愛」の物語。少なくともエイズという病がそうした関係性を描かせたことは確かである。自分の「仲間」がエイズで次々と亡くなっていき、そして自分もまたこの病に侵されていく中で、助かるかもしれないという希望と絶望の間を描き出したこと、初めてエイズを文学的題材にしたという意義は大きい。ギベールは、次作『哀れみの処方箋』において、書くことを通じて、衰弱し朽ち果てていく肉体に美を見出していく。

ところで今回の読書会で、是枝裕和が映画監督デビューする前年の1994年に、平田豊さんというエイズ患者のドキュメンタリー『彼のいない八月が』を撮っていたことをExquiseさんに教えてもらった。作品の終わりの方で、病状が悪化し、目が見えなくなり、寝たきりで酸素吸入を受けながら、支援者の人に平田さんは言う。「もう来なくていい、もう来なくていいよ、恐ろしいから」「二日前にね、前の人がなくなったの、そいでその声が夜中に聞こえるの、その亡くなるまでの・・・怖かった・・・それでね、とても怖かった、全部聞こえるの・・・」「・・・あそこまでね、苦しまないで人が死ねないのか」

『彼のいない八月が』も、エイズという特殊性を離れて、すべての人の死という普遍性を獲得しているのだが、ただ『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』と異なり、映像はあまりに生々しすぎて、もはや物語を介在させる余地を奪ってしまうのではないだろうか。

ギベールは自らの肉体が衰えていく様を映像化(*)しているのだが、私たちはここから何を読み取るのだろう?

*例えば、『慎み、あるいは慎みのなさ』La Pudeur ou l’Impudeur (1991)



posted date: 2018/Aug/09 / category: 本・文学
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