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海に沈む太陽を見下ろすブドウ畑とワイナリー

ツィッターを通して知り合った人たちと直接会うという経験を何度かしたが、この出会いは最も重要な出会いのひとつとなった。ツィッターはその人が誰か(つまり地位や肩書き)ではなく、何を書いているかによって判断される。素をごまかすことはできない。高作氏のツィッターからあふれ出てくる確信と情熱。今どきこんなふうに夢を見せることができる人はなかなかいない。ひとつだけ確実に裏切られたのは、団塊世代とうかがっていたのに、ご本人があまりに若々しかったということだ。奥能登のワイナリー構想を実際にこの目で見てみたいという私の要望に、高作氏は快くOKをくださり、ワイン畑とワイナリーの予定地だけでなく、門前町(石川県輪島市)のあちこちを1日かけて案内していただいた。

最初に石川県の指定文化財である阿岸本誓寺(写真1)を訪れた。ただワイナリーを造るだけではなく、それを門前全体の町おこしにつなげる場合、五木寛之が『百寺巡礼』の中で紹介しているような由緒正しいスポットは重要な観光資源になる。茅葺の屋根は荒れた感じで、昔ならば農民総出で葺き替えたのが、今は業者に頼むと何千万もかかるそうだ。五木寛之が『百寺巡礼』のCMで「日本人のアイデンティティはこういうところ(=お寺)にしか残っていないんじゃないか」と言っていたが、そう言えるのは、日本人にとってお寺は子供のころのプレイポットでもあるからだ。苔の匂いがにじむ湿り気を帯びた空気に触れて、小さいとき、祖母の家があった散居村の小さな寺で鐘を突き、境内で暗くなるまで野球をした記憶が蘇った(その寺の裏手には墓場があり、さらに小川と並行して田んぼの畦道がはるか遠くまで続き、日がとっぷりと暮れたあと、そこは完全な闇に包まれた)。

門前という名前は、曹洞宗の本山の総持寺からきているのだが、ここは2007年の能登半島地震(震度6強)で大きな被害を被った場所だ。広い境内を持つ立派なお寺だが、その多くの建物が修復中で、資金提供を訴えるパネルによると、まだ40億円が不足しているそうだ。総持寺を訪れたのは夕方だったが、ヒグラシの鳴き声を背景に、ちょうど鐘が鳴るところだった。総持寺の帰り道、海を見渡すと赤い大きな落日が水平線に迫っていた。

山中の別荘地も案内してもらった。これもワイナリーと連動しうる重要な場所だ。ところどころで冷たくて甘い水も湧いて、飲めるようになっている。ぽつぽつと別荘が建っているが、「バブルの残滓」という感じで放置されたままのものが多い。一見したところフランスのサントロぺやアヌシー湖の高級別荘地の雰囲気と変わりはないが、買い物ができる場所や、生活をフォローするようなインフラがないのが難点なのだそうだ。唯一、頻繁にここを訪れる有名人が落語家の桂文珍さんだ。文珍さんの別荘はモダンな外観で、玄関では彼の芸人としての成功を祝うかのように黄金の天使たちがラッパを吹いていた。建物の奥の方に小さな円形劇場が見えたが、文珍さんは年に1度地元の人々を招き、お弟子さんたちと一緒にそこで落語を披露するのだそうだ。

そしてブドウ畑に到着すると(写真3)、強烈な日差しの中で黙々と草を刈っている青年がいた。高作氏の息子さんのMさんである。夏はあっとういう間に雑草が伸びる。無農薬と自然派にこだわると、この作業が果てしなく続くのだ。Mさんは新潟のカーブ・ドッチで研修を受け、すでにブドウの木を育て始めている。それらは人の背丈くらいにしっかりと伸びていた。ブドウ畑のために開墾した土地はまだほんの一部で、周囲には森が広がっている。「あちこちにジブリの風景があって、あそこは『もののけ姫』の森なんですよ」とMさんは教えてくれたが、「トトロ」の里山もあちこちに見つかる。ブドウ畑とワイナリーができれば、ヨーロッパ風に化けて、「ハウルの動く城」や「魔女の宅急便」的な風景になるのかもしれない。

夕日が沈む海を見下ろす斜面に広がるブドウ畑とワイナリー(写真2&4:4の田んぼもブドウ畑に変わる)。高作氏はブルゴーニュのボーヌのワイナリーを視察し、現地の人たちと交流しながら計画を進めているが、こういう思いがけない場所がフランスとつながり、フランスが息づいているのだ。「美しくなければワイナリーではない」とは高作氏の言葉だが、これが実現すればブルゴーニュのボーヌにも引けをとらない風景になるだろう。昔からの日本の風景に接続される西欧的な風景。日本の地方に蓄積された文化は担い手を失い、このままでは消え去ってしまうだろう。しかし新しいものに接続されることで生き残れる可能性がある。そのためにはお金と雇用が回る仕組みを作ることが必用だ。

早急の課題と言われて久しいが、あまり効果があがっていない若者の雇用促進。さらに難題が加わる障害者の雇用。高作氏はワイナリー経営を通じて、この問題にも取り組もうとしている。岡田斗司夫は『評価経済社会』の中で、これからの消費行動はサポーター的要素が強くなり、モノを買う、お金を払う行為が、自分が応援する企業、グループ、個人を応援するためになされることが多くなる、と指摘している。また宮台真司は『就活原論』の中で、欧米でCSR=corporate social responsibility という概念が企業の新しい指針になっているように、これからは日本でも正しいことをする企業が評価されると主張する。両者を結び付けるとすれば、「正しいことをするビジネスを応援すること」になる。

ワインの品質もさることながら、素材の安心安全を追求し、さらには若者と障害者を雇用すること。そういう価値を前面に打ち出し、そうすることがかっこいいことだと訴えながら市場の方向さえもオーガナイズする。社員が週末にボランティアにいそしむとか、植林をするほど環境問題に熱心だとか、フェアトレード商品を使っているとか、そういうことを企業のイメージアップに利用するのではなく、正しさを追求すること自体が共感を集め、マーケッティング戦略として利用できるのだ。

また成長するアジアの富裕層をターゲットに日本の地方の特色をアピールすることも可能だろう。多国籍企業のようなやり方でもなく、中央政府の主導でもなく、地方が直接外とつながるのだ。その場合、品質が高く、安全な日本の食品は有力な経営資源となりうる。それを国境を越えて通用する地方ブランドにまで高めることができればこれからの有望なビジネスモデルになるだろう。国もすでに破綻している従来の地方振興モデルにお金を垂れ流すのではなく、そういう創意工夫へのインセンティブが働く形でお金を生かすべきだろう。

高作氏とのドライブは日本の税金の無駄遣いの視察でもあった。門前の林道やトンネルはどれも立派だが、ほとんど人や車と出会うことはない。これらは公共事業の補助金として大量の財政資金が地方の道路の整備に投入された一環である。まさに地方の中央に対する依存関係を象徴するものだ。しかし国債残高が積み上がった日本には昔と同じようなやり方で金をばらまく余裕はないはずだ。

門前に来るまで、氷見から七尾、穴水と、ずっと富山湾の海岸沿いを車で走ってきたが、何が景観を台無しにしているかというと明らかに醜悪なテトラポッドである。遠景はそれなりに見ごたえがあっても、海沿いに焦点を合わせたとたんに風景は色褪せる。それは日本全体に言えることだろう。思えばヨーロッパのリゾート地でテトラポッドなど見たことがない。戦後、日本全土の水系に大量のダムが建造されたため、河川から海岸線への土砂の流出と堆積が極端に少なくなり、著しい海岸浸食が発生した。海岸にテトラポッドが積み上げられたのはそれを防ぐためである。ダム建設や護岸工事も美味しい公共事業であるが、これらが美しい景観よりも優先されてきたのである。

山の上では5基の発電用の風車が回っていた。北海道の電力会社のパイロット事業で、北陸の冬の季節風をあてにしているらしい。車で風車の足元まで連れて行ってもらったが、発電用の風車を至近距離で見るのは初めてだった。風車が回る未来的な風景もワイナリーに色を添えることだろう。

□Heidee Winery のブログ http://ameblo.jp/heidee-winery



posted date: 2012/Oct/18 / category: ライフスタイルバカンス
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