フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

英語できずに市議候補失格

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3月2日付けの産経新聞の夕刊で興味深い記事をみつけました。『英語できずに市議候補失格』というタイトルなんですが、ちょっとこちらの記事をかいつまんで紹介してみたいと思います。

〔概要〕 「AP通信などによると、英語をめぐる裁判の舞台となったのは、メキシコ国境沿いの人口2万5千人のサンルイス。市長が、市議選に立候補したアレハンドリーナ・カブレラさん(34)について『彼女の貧弱な英語では職責を全うできない』として昨年12月、候補資格の取り消しを求めたのだ」とあります。

ここでポイントとなる点をフォーカスしてみると、「住民による選挙で選ばれた市議=政治家が、その国の『国語』を操れないということ」になると思います。「民意」という正当性と「国語あるいは共通語」の正当性が正面からぶつかり合う案件ともいい替えられるかもしれません。記事では「英語ができなくて米国民が選挙に出られないことがありうるのか」とあります。

〔背景〕 つぎに問題の背景を探ってみましょう。ご存知のとおり、アメリカは建国以来「(連邦レベルでの)規定の必要がないほど英語の優位が際立っていた」のですが、「1980年代以降、ヒスパニック(中南米系)が急増し、スペイン語を話す人が増えた。いまや人口の約16%を占め、黒人を上回」り、そしてカブレラさんの暮らす「サンルイスは住民の9割以上がメキシコ系で、多くがスペイン語を話す」。さらにカブレラさんは「私の英語は完璧じゃないがサンルイスでは十分」と主張しています。

「アメリカ国民=英語を話す人々」というのはある時期まではわざわざ意識せずとも自明であったのが、時代が変わったということでしょう。アメリカはその国是として諸外国に比べて移民に寛容な国であることは有名ですが、その国是にはこうした言語問題をもたらしてしまうという種が孕んでいたのですね。

〔主張〕 以上なかなか微妙な問題ですが、カブレラさんの政治参加に対し、支持する立場とそれに疑問を呈する立場があります。その双方の主張を確認してみましょう。

まずはカブレラさんの主張ですが、これはさきに引用したように「私の英語は完璧じゃないがサンルイスでは十分」となっています。これはそれなりに説得力のある発言で、彼女が連邦レベルの上院下院レベルの議員ではなく、あくまで市議であり、それが9割以上の住民がメキシコ系で、そのうちの多くがスペイン語を話しているのですから、当該市民との対話や意見交換などはおおむね可能といっていいでしょう。その意味でなら、彼女が市議活動を行うことは「サンルイスでは十分」可能と主張するのは根拠があると思います。

ただしこれに対する反論として、まず、市民生活や経済活動のほとんどが英語を通じて行われるアメリカにおいて、彼女の英語のレベルは実際どの程度なのでしょうか。これについては、動画を探しましたのでご覧ください( youtu.be/M-LWw0qFVfk )。動画にもあるように記事では「地域を管轄するユマ郡裁判所に出廷したカブレラさんは、出身校についてたずねる簡単な質問にも返答に窮した。裁判所の依頼を受けて、英語力を調査した言語学者は、日常生活は何とかなるが、議員活動に必要な水準に遠く及ばない『サバイバルレベル』と鑑定」。要は、カブレラさんが議会などで発言や質問あるいは意見聴取する際、議会ではもちろん英語が使用されることになりますから、彼女は自力では「議員活動に必要な水準」を維持できないということになります。さらに「アリゾナ州には公職者に英語力を求める規定があるため」、司法判断は「1月に郡裁判所が候補失格を宣告し、州最高裁も2月、1審判決を支持した」。つまりカブレラさんの出自や政治能力ではなく、もっぱら言語能力に焦点を絞って、司法の側からも彼女の議員活動を通じた政治参加にNoを突きつける格好となりました。

さらにアリゾナ州をはじめとして、アメリカでは「全米50州のうち、アリゾナなど31州で何らかの英語公用語規定がある」そうで、そしてこれはたしかに「社会的少数派への差別との批判」という側面があると思います。ただし、この流れを促進したのは「そもそもは81年、日系2世のサミュエル・ハヤカワ上院議員による憲法修正案が先駆けとされる。ハヤカワ氏が設立した英語公用語化の推進団体『USイングリッシュ』代表、マルオ・ムジカ氏もチリ移民だ。『英語力なくして社会貢献も民主的プロセスへの参加も十分にはできない』と訴える」とあり、この主張に沿うと、たしかに事実上英語が公用語となっている地域において、英語を使えないということは少なくとも「民主的プロセス=コミュニケーション」においてなんらかの障害を抱えてしまうというのは間違いないでしょう。つまり少数派だからこそ「英語」が必要という論理展開も十分可能ということであり、実際、カブレラさんは自らの主張が現時点のアメリカ社会では認めてもらえないという結果となってしまいました。

またこの話題は、現在進行中の米大統領選共和党候補指名争いでの隠れた争点にもなっていて、ともに共和党候補のギングリッチ氏「この国をどうまとめるのか。シカゴでは200もの言語が話されている。共通の絆は何なんだ」、ロムニー氏「英語ができないためにきちんとした仕事にもつけず、アメリカンドリームが制限されては困る。英語はわが国の言語だ」と主張しているようです。ともに保守派に分類される政治家の主張ですが、その価値観はともかく、アメリカがいま直面している問題への明確な解答であることはたしかですし、さらに人種問題にたいして「オバマ大統領」という一定の区切りを示したアメリカが、今後、「言語問題」にどのように対処してゆくのかに注目したいところですね。

〔その他〕 たまたま最近読んだ本にあったエピソードなんですが、第二次大戦終戦間際のある日本政府首脳(迫水内閣書記官長=現在の内閣官房長官)の回想:「米内さん(当時海軍大臣、元内閣総理大臣)はいつも正論を吐いて立派な方だったが、向こうは東北弁、こちらは鹿児島弁なので、時々言葉がわからなくて、弱ったことがあった」というのがありました。ポツダム宣言受諾に際しては、日本政府内で継戦派と終戦派が丁々発止のやりとりをして、互いに相手の言質の細部にまでこだわって議論に収拾がつかず、それは大変な大仕事だったらしいのですが、そんなときに相手の「言葉がわからない」というのは相当もどかしい思いをされたと思います。また、有権者へのメッセイジを伝えるのにも必要だし、いろんな意見の対立する議会ではいかに相手側を説得するかということも必要になりますから、そもそも政治家にとって言葉というのは必須の武器にならざるをえないでしょう。その意味でも、英語が事実上公用語のアメリカにおいてカブレラさんの立場は分が悪くなってしまうのは仕方がないと思います。

とはいえ、ぼくは河内弁を使って話すのが一番すっきりするんですが、公の場ではできるだけ標準語を使うようにしています。ただ、河内弁を使うときと標準語を使うときでは、なにかこう「人格」まで変わってしまう気がするんですよね…。スペイン語に慣れ親しんでいるカブレラさんとしても、自分の思いを伝えるにはスペイン語が一番適しているだろうのは容易に推察ができます…。ともかく、アメリカにおいてヒスパニックの人口は今後も増える傾向にあるそうですから、そのときにこのカブレラさんのケースはなんらかの歴史的シンボルになることは間違いないでしょうね。

またさらに、記事の最後にはアメリカ以外にも影響を与えるであろうこの種の言語問題について、あらたな論点を提示しているのでこれを引用して締めくくりとしたいと思います。「言語をめぐっては欧州もきしむ。ドイツのメルケル首相は10年、自国がとってきた移民政策を自省し、ドイツ語習得の必要性を強く訴えた。ドイツや英国は近年、移民希望者に言語能力などを審査する制度を導入している。日本でも、英語の必要性と日本語の位置づけから公用語論議が起っているが、人が大量に国境を越えるグローバル時代に、言語は各国共通の政策課題となっている」

 

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専門はフランス思想ですが、いまは休業中。大阪の大学でフランス語教師をしています。

小さいころからサッカーをやってきました。が、大学のとき、試合で一生もんの怪我をしたせいでサッカーは諦めて、いまは地元のソフトボールと野球のチームに入って地味にスポーツを続けています。