フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

How to fake French, または民族ジョークについて

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最近、Facebookで友人がある動画を紹介していた。題して「フランス人のふりをするには」。方法は次の4つ。

ステップ1:ワインが大好きなふりをする ステップ2:賛意を示すために口で変な音を出す ステップ3:もし可能なら、喋らないですむように食べ続ける ステップ4:賛意を示すために罵り言葉を使う

実際にフランス人と話したことがある人には、かなり笑えるはずだ。

身振りやアクセントには、確かに民族性が出る。そこからステレオタイプも生まれる。日本人の真似をするならやたらにお辞儀すればいいし、アメリカ人を演じるなら「ヒャッホー!」と叫べばいい。こうした民族性を誇張した民族ジョークというものもあり、僕は結構好きなのだが、現代日本ではあまり流行しないようだ。僕の友人がみな育ちがいいのか、少なくとも個人的に聞かされたことが殆どない。授業で紹介しても、学生は笑うのは不謹慎だと自己規制をするのか、無表情に聞いていて、こちらの間が悪くなってしまう。昔の日本人は、藩や地方間で悪口の応酬を繰り返していたことを思うと、なんだか窮屈な感じだ。

言葉摘みの盛んな昨今では、他人を笑うことは、とんでもない人権侵害のように扱われる。だが、ステレオタイプを信じることと、ステレオタイプと戯れることは、別の次元に属する。民族ジョークには、もちろん悪意がある。しかし、それが誇張だからこそくすっと笑えるのであって、笑った瞬間に、自分のなかにどれだけ偏見が残っているかを測る目安にもなる。笑わない学生を見ると、逆に彼らには批評性が欠如しているのではないかと心配になってしまう。

たとえば次のようなジョーク。「真のアジア人とは、中国人のように清潔好きで、韓国人のように温厚で、日本人のように信心深く、フィリピン人のように知的なことである。」もちろん皮肉なのだが、日本人も入っているだけに、自尊心を傷つけられたような気分になるかもしれない。そこがユーモアの度量を試されるところでもある。

ロンドンを旅したとき、郵便局にイギリスの国民性を馬鹿にする絵葉書が何種類も売っていたのにびっくりしたことがある。たとえば、こんな感じの四コマ漫画。各国民は食事の前に何と言うか。

フランス人はワインとエスカルゴを前に Bon appétit ! ドイツ人はビールとソーセージを前に Guten Appetit ! イタリア人はキャンティとスパゲティを前に Buon appetito ! さて、イギリス人は?  ベイクドビーンズの缶詰と缶切りを前に Never mind !

僕はイギリス人のこうした余裕を好ましく思う。外国人にどう思われているかをよく知っていて、それと戯れてみせる。確かにイギリスの食事は、有名な朝食も含めて、かなりひどかったけれど(ギッシングがむきになって弁護している一文を読んだことがあるが、やはり無理だ)、「それでも我が国には最高の紅茶がある!」と居直ってみせる別の絵葉書のオチは、これまたそれが英国産でも何でもないところに、ほとんど哀愁さえ感じさせて面白い。

フランス人はこんな風には自分を笑わない。自尊心が高すぎるのだろう。フランス人は他人を嘲って楽しむ方が好きだ。嘲笑の的を意味する慣用句に「トルコ人の頭 tête de Turc 」という恐ろしい表現があるが、これは辞書によると「縁日でトルコ人の人形を殴る力比べゲーム」に由来する。おそらくクロワッサンと同じく、オスマントルコ時代に遡る話なのだろうけれど、それが今に残っているのは、さすがにちょっと、という気になる。

さて、そんなフランス人が最も情熱をこめて馬鹿にするのが、ベルギー人だ。彼らはベルギー・ジョークのレパートリーを豊富に持っていて、僕もいろいろ聞かされたものだ。ファックスに切手を貼って出すだの、故障したエスカレーターから救助されるのを待つだの、どうやら機転が利かない田舎者というのが、基本的なイメージらしい。エスカレーターを故障させるのは君たちの方が得意だろう、と僕がやり返すと、笑わなかった。余裕のない人たちである。「blagues belges」のキーワードでネット検索すると、たくさん引っかかるので、興味のある人はどうぞ。ちなみに冒頭で紹介した動画の投稿者はベルギー人らしい。ちょっとした復讐かな。

人種差別、民族差別に寛大になれ、と言っているわけではない。だが、差別があたかも存在しないように振る舞うことでは、差別はなくならない。差別された相手が傷つくから差別発言は止めるべきだ、という論法は、相手の聞こえないところでは言いたい放題を認める、ということにつながりかねない。問題は言葉よりも、ステレオタイプを真実と信じ込むところにある。韓国人はみな盗人で、中国人は金のことしか頭にない、と本気で思い込むこと自体が、すでに差別の始まりである。その背後には、無知に由来する恐怖心と、個人的な経験の極度の重視があることは、指摘するまでもない。

民族ジョークの利点は、笑いを機に、他人の偏見を観察し、自分の偏見の度合いを診断することができるところだ。特定の集団に関する差別は、すべて単純化から始まる。ジョークは、その単純化の危うさと戯れる。たとえそこに幾ばくかの真実があるように見えても、それがしょせん粗雑なイメージにすぎないことを忘れなければ、民族ジョークは有用でさえある。もちろん、「冗談では済まない」場面があることを分かってのうえの話だけど。

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1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。