フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

Unloved Children —2つのパリ同時テロ事件の影に見えるもの―

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2015年11月14日。駅の売店に並んだ夕刊紙の見出しを見て戦慄しました。その一方で、こうも思いました。「やはり起きてしまったか…」今秋、アメリカの幾つかの雑誌で今年1月に起きたパリ同時テロの背景を追った記事が掲載されました。事件発生当初の興奮と距離を置き外国人の視点で冷静に見つめた犯人像と現実は、フランスの抱える深刻な闇をあぶり出していました―次に何が起こってもおかしくない程の。

闇が顕著に現れているのが、パリ郊外に点在するバンリュー(Banlieu)と呼ばれる地域です。第2次世界大戦後の経済成長を下支えする安い労働力として雇い入れられた旧植民地国の男達とその家族の受け皿となり、外国からの新たな移住者を今も受け入れる一方、移民の2世・3世達が住み続ける場所でもあります。目を引くのは、citéと呼ばれる老朽化した高層の公共団地。建設された60年代、70年代には未来を感じさせる建築物だったビル群が、コンビニ・ドラッグストア・ファーストフード店といった生活するのに最低限必要な店を取り囲んで、無表情な高い壁のように林立しています。住民の多くは中近東、アフリカ出身の移民とその家族です。

パリから電車で通勤できる距離にあるバンリュー。しかし、パリとバンリューとの間には目に見えない壁があります。「パリに入るにはビザと伝染病の予防接種済の証明書がいる」と住民が冗談めかして言う程に。パリの街にあふれていた文化的な施設や洒落た店、おいしそうなビストロはここにはありません。しかし、そんな退屈な街を捨てパリ市内で暮らすことは、バンリューの団地で暮らす人々にとってはとてもありえないことなのです。

まず、経済的に不安定。住民の半数が貧困ライン以下の暮らしを余儀なくされている地域もあります。職についていたとしても安定していなかったり、低賃金だったり。景気が悪くなれば仕事につく事すらままなりません。また、バンリューの人間だというだけで求職が難しくなります。移民の一家の出だとわからないよう名前をフランス風に変えて求人に応募しても、住まいがバンリューにあるとわかればアウト。福祉関係の給付申請をする時ですら、「受け取り先は正しい住所でなくパリ市内の私書箱宛にしたほうがよい」と、福祉カウンセラーから真顔で助言されてしまうぐらい、偏見は根強いのです。まともな仕事のない若者の中にはドラッグでカネをもうけたり窃盗・強盗に走って逮捕されるものが少なからずいて、住民が警察の過剰な監視のターゲットになるなど地域の空気をぴりぴりしたものにしています。

何十年にもわたり続いてきた移民とその次の世代への差別も、バンリューの人々をしばりつけています。戦後安く使える出稼ぎの労働力として旧植民地国から連れてこられた男たちは、まっとうなフランス市民とみなされず、劣悪な住居に押し込められました。所帯を持ち定住して移民人口が急増してからは団地があてがわれ住環境は幾分かよくなりましたが、扱いは変わりません。フランスで生まれ育った2世、3世はフランス人になることは求められても、両親や祖父母の国や文化について学ぶ場はまともに与えられません。(アルジェリア出身の移民の場合、母国について語ることはタブーですらありました。独立までに流された多くの血と親フランス、反フランスのどちらであったか等で生じた根深い対立・遺恨は、学校側だけでなく親達をも沈黙させる結果となりました。)

プロスポーツや芸能界で成功して名誉や地位を得る人も現れ、非移民系のフランス人と結婚し子供を持つ人も増えています。それでも、移民の人々をあからさまに侮蔑したサルコジ前大統領の一連の物言いをはじめ、ルーツを語る名前のおかげで未だに色々な形で「居心地の悪さ」を感じ続けなければならないのが現状です。イスラム系の女子学生が学校でスカーフを着用するのを国が禁じたのも、そうした「居心地の悪さ」のバリエーションの一つと受け取られています。宗教というより文化的なアイデンティティの拠り所となっている習慣にノーと言われることの衝撃、悲しみを、「生粋」のフランス人はわかってはくれないのです。

フランスで生まれ育ち、フランス人であるというアイデンティティを持ち胸を張りたいのに、フランスの国の一員として受け入れられている実感がわかない。名前や肌の色から「ほんとうのフランス人」ではないようにすら言われる(「でもおじいさん、おばあさんはよその国の生まれでしょ?」)。拒絶感のあまり、コミュニティの中に引きこもる人々もいます。あご髭を延ばし、アラブの伝統的な服装に身を固め、ネットでイスラム教徒が必要とする商品を売ってカネを稼ぐ―フランスの社会で移民として生きて行く事をあきらめてしまっているのです。そんな環境の中で、バンリューの子は育ちます。

“親は生活のために必死に働いていてかまってもらえない。でも仕事がないときもあったんだからまだましだ。自分はフツーのフランス人だと思っているけど、親や祖父母はフランス語と違う言葉をしゃべりモスクにも連れてゆかれたりするから、「移民の子」でもあるらしい。なんでフランスへ来ることになったのか誰も教えてくれないけれど。学校の先生はたよりないし、がんばって勉強するようはげますようなこともない。回りには学校に来なくなった子もいる。バンリューの外に出ても拒絶されるだけだ。9年生の時の一週間の職業体験実習では、普通の会社や事務所に申し込んでみたけれどどこも断ってきた。受け入れてくれるのはベーカリーのような騒がしくてきつい職場や、地元のドラッグストアだけ。僕らには行き場がない―。”

ティーンエイジャーになると学校に行くのをやめ、仲間と窃盗やドラッグ絡みの軽犯罪を繰り返しながら年を重ねてゆく子が出てきます。同じようなタフな界隈で生まれた音楽であるアメリカ製のギャングスタラップをBGMに、世間なんてこんなものとニヒルに構えて仲間とこの地元でふわふわ生きて行くのです。

“パリは洗濯機やエアコンを取り付けにいったり雇われ先で働きに行く場所であっても、遊びにでかける所ではない。ましてや生活する場所ではない。ルーブル美術館でモナ・リザを見ることは一生ないかもしれない。パリには金持ちのユダヤ人がうようよしている。自分達だけ犠牲者の特権を振りかざし政府に取り入って、おいしい目をしていてムカつく。パレスチナとか、アラブの人間だって十分悲惨な目にあってるのに。あいつらをおもいっきり茶化しているコメディアンのジョークはほんと笑える。あんなのにぺこぺこしてバンリューの人間を無視している今の政府はダメだ。”

そんな浮き草暮らしの若者たちを、刑務所は一変させます。所内の環境はひどく、心やすらぐ場所もなく、話を聞いてくれるはずのイスラム教の教誨師はフランス語もろくに離せない老人ばかり。時間つぶしにテレビでニュース番組を見るようになり、世界のあちこちでひどい事、悲惨なことが起こっていると初めて知った―そんな風にぽつんと過ごしている彼らに声をかけてくるのが、イスラム過激派のリクルーターです。世の理不尽のからくりを説明してくれるだけでなく、これまで抱えていたもやもやとした疎外感の理由も解き明かしてくれた上で、ジハードに加わるよう誘います。ジハードをやり遂げれば、何の値打ちもないとみなされていた君も純粋な、至高の存在になれる。力と意志のある人間を世の連中は恐れる。君は強くなれる―刑期を終える頃には、迷いのないジハーディストが誕生しています。きっかけさえあればいつでも弾ける可能性のあるテロリストの予備軍が。

サンバ [DVD]1月と11月のテロは、起こったことや手引きの有無の違いはあれど根っこは同じように思えてなりません。妄信や影響されやすさ、心の弱さといった個人の持つ資質が、犯人がテロを起こす第一の要因であったことに異論はありません(1月のテロ事件の犯人、アメディ・クリバリは事件前から精神的なもろさを抱えていると見なされていました)。しかし、イスラム過激派の言葉に耳を傾けさせる素地を作ってしまう、長年にわたる幻滅と失望がフランスにはあるのです。この闇を払拭するためあらゆる手をつくすこと、スローガンだけでなく目に見える行動を取ることこそ、必要なのではないでしょうか。パリの金曜日の夜を楽しんでいた普通の人々に銃を乱射したのは、よそものの狂信者ではなく、メトロで乗り合わせていたかもしれない若者であったことをとても重く感じます。教義に反する不埒な行動を罰するという表向きの動機や組織の戦略を超えた、言語化しようのない憎しみの暴発を見てしまうのです。

フランスの移民問題についてもう少し知りたい方には、映画『サンバ』をおすすめします。オマール・シーが演じるごく普通のバンリューの若者、サンバの物語には、ニュースメディアが取りこぼしたディティールと切実さがあります。トレイラーはこちら。

www.youtube.com/watch?v=VBknhcuPCfs

※参照文献:George Packer“The Other France”(“The New Yorker” 2015年8月31日号掲載)

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大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。 門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。