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ドビュッシー生誕150年を記念する様々な催し

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近代フランス音楽を代表する作曲家クロード・ドビュッシー Claude Debussy は1862年に誕生し、1918年に逝去する。その才能は「あらゆる時代のあらゆる伝統から隔絶するほど独創的」(ブーレーズ)とまで言われ、その後の20世紀音楽の原型を形作ったと言えるほど他に先んじるものだった。2012年はそのドビュッシーの生誕150年目に当たる。世界中でドビュッシーを振り返る試みが行われているが、ここでは日本で行われるいくつかの催しを紹介しよう。

ドビュッシー:前奏曲集(2)現在、既に始まっているものとしては『ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで』という展覧会がある(7月14日から10月14日、ブリジストン美術館)。これはこの春にパリのオランジュリー美術館で開催され大きな反響を呼んだ展覧会の東京版で、オランジュリーとオルセーという二つの美術館の協力で実現したものである。この展覧会はその表題からも明らかなように、ドビュッシーという作曲家がいかにジャンルを超えた芸術家であったのかということに焦点が当てられる。また、「総合芸術」といえばワーグナーのものと見做されがちであるが、ドビュッシーもまた「フランス式」のやり方でそれを実現したということがこの展覧会に行けば明らかになるだろう。

そのようなドビュッシーの多彩な姿を捉えようとする学術的な試みが『ドビュッシー・フェスティバル2012』の名のもとに一週間に亘って行われる(10月20日から26日、カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」)。これはカワイ音楽振興会などが企画したもので、日本を代表するドビュッシー演奏家や研究者が集結し、作品の演奏、講演を次々に行うという意欲的なものだ。ピアノ演奏と講師を兼ねるのは青柳いづみこ、野平一郎、学術講演は船山信子、西原稔など、錚々たる面々が顔を揃える。講演題目は「ドビュッシーの新しい世界を求めて」、「革命家ドビュッシーの肖像」、「ドビュッシーと美術」などがあり、それに6部に分かれたコンサートが開かれる。ドビュッシー愛好家は必ず駆けつけなければならないだろう。

当然ながら純然たる演奏会でもドビュッシーの楽曲が多くのコンサートで採り上げられているが、今年後半の呼び物は以下の二つではないだろうか。いずれも場所はすみだトリフォニーホールで、「ドビュッシー生誕150年記念演奏会」の名のもとに行われる。一つ目がアルド・チッコリーニによる『ドビュッシーとセヴラック』(12月1日)で、ここでは『前奏曲集第一巻』がメインプログラムとなる。チッコリー二といえば、『前奏曲集第二巻』の名盤を録音しているが、その彼が『第一巻』の方をいかに弾くのかというところがポイントとなるだろう。他方、クリスチャン・ツィメルマンは『オール・ドビュッシー・プログラム』と題するコンサートを予定し(12月12日)、『12の練習曲』などを弾くらしい。すでにヴェテランの域に達したツィメルマンがいかにドビュッシーを弾くのか、こちらも楽しみである(ツィメルマンのコンサートは同じプログラムで兵庫県立芸術文化センターでも開かれる。11月25日。関西圏の方は是非にも足を運んでいただきたい)。

ドビュッシーに魅せられた日本人―フランス印象派音楽と近代日本メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性ドビュッシーをめぐる変奏―― 印象主義から遠く離れて

書籍の方でも興味深いものが近年いくつか出版されている。佐野仁美による『ドビュッシーに魅せられた日本人』(昭和堂、2010年)は神戸大学に提出された博士論文を基にしたものだが、近代日本における西洋音楽の受容においてドビュッシーがいかに大きな役割を果たしたのかを入念に調べ上げた意欲的な著作である。他方、村山則子による『メーテルランクとドビュッシー』(作品社、2011年)は、別個に論じられることが多かったメーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』とドビュッシーによるそのオペラ作品を丹念に比較検討し、その性格の違いを明らかにしたものである。また、今年はアンドレ・シェフネルによる『ドビュッシーをめぐる変奏―印象主義から遠く離れて』(みすず書房、2012年)が翻訳出版されたが、これも従来のドビュッシー像を一新しようとした試みである。

こうしてみるとドビュッシーという作曲家の奥深さ、幅広さ、日本への浸透具合の大きさが改めてよく分かる。ドビュッシーが活躍した時代からもう既に100年以上が過ぎ、社会は比較不可能なほど変貌してしまった。にもかかわらず、いまだにその音楽が人々の心に何かを訴えかけてくるというのは一体どういうことなのだろうか。この機会に、ドビュッシー自身の音楽を振り返るのはもちろんこと、「音楽が持っている意味」というものをもういちど考え直すのも良いかもしれない。

不知火検校



posted date: 2012/Aug/08 / category: 音楽

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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