フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

ドワイヨン、あるいは映画を「発見」すること―フランス映画祭25周年を祝して―

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フランス映画祭が今年も6月22日から25日まで開催された。この映画祭も2017年で25回目を迎えたという。当初、この映画祭は横浜を会場として始まり、その地で10年ほど安定して続いて来た。その後、諸々の理由から2000年代に有楽町周辺に開催場所を移すなどの変遷はあったが、毎年多彩なゲストを招くことでフランス映画ファンを楽しませ続けているイベントだ。この「多様化」の時代に、フランスに特化した映画の祭典を四半世紀も続けて来た関係者の努力――恐らく、運営するのは並大抵のことではないだろう――には驚かされるし、その弛まぬ持続力と推進力に対しては畏敬の念すら抱かざるを得ない。

特に今年は記念の年ということで、カトリーヌ・ドヌーヴとイザベル・ユペールが主要なゲストで登場するなど、豪華さが際立った。一方は1960年代からフランス映画を牽引する「女帝」、他方はヌーヴェル・ヴァーグの世代のみならず1980年代以降のフランス映画界の中心にいる「重鎮」。この二人を同時に招いた主催者ユニ・フランスの判断は正しいものだったろう。この二人こそ、日本において「フランス映画とは何か?」、「映画とは何か?」という問いを常に投げかけ続けて来た存在だったからであり、つまるところ、その存在なくして映画を語ることなど不可能とまで言える女優たちだからだ。40年、50年というキャリアを築きながら、まだ新しい世界に挑もうとする二人の圧倒的な姿に眩暈のようなものを感じた観客も多かっただろう。

そのオープニングイベントに北野武が招かれたことは、フランスでの北野の評価を知らなければやや分かりにくいかもしれない(単に文化勲章を受賞しているから、という訳ではない)。北野は2度に亘るヴェネチア映画祭金獅子賞受賞(『HANA-BI』(1998)、『座頭市』(2003))が専ら知られているためイタリアでの評価が高いように思われるが、ヨーロッパ全土で高い評価を受ける稀有な監督である。北野が賞を受けた映画祭はカタロニア(スペイン)、テッサロニキ(ギリシャ)、ソフィア(ブルガリア)のようなヨーロッパ諸都市で開催される映画祭の他、トロント映画祭やモスクワ映画祭なども含まれるため、北野は到底フランスだけの規模に収まる監督ではない。だが、評価の厳しさで知られる映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』が2005年に創刊600号記念号の編集長を北野に任せたこと、2007年にカンヌ映画祭が「世界を代表する35名の監督」の中に日本人として唯一人北野を選出したという点には、彼に対するフランスの批評家の揺るぎない信頼のほどが窺える。その北野が25年目のフランス映画祭を祝うゲストだったのは当然と言うべきだろう。

予定されていたゲストの来日中止は致し方ないが、新作『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』の上映に合わせて来日するはずだったジャック・ドワイヨン監督が怪我の為に来られなくなったのはいささか残念だった。ドワイヨンもまた、フランス以外では日本が最も高く評価する映画監督ではないだろうか。「ドワイヨン」という名前を初めて日本人が正しく聞いたのは、恐らく、1979年にフランソワ・トリュフォーが『緑色の部屋』の岩波ホールでの単館上映の為に来日した折に、蓮実重彦、山田宏一と鼎談を行った時だと思う(これは現在『トリュフォー最後のインタビュー』(平凡社、2014年)に再録されている。当初、彼の名を「ドワロン」と紹介する媒体があった為、鼎談は混乱する)。トリュフォーはこの時、「若い世代の監督で最も注目するのはドワイヨンです」と語り、日本ではまだ全く無名のこの監督の素晴らしさを二人の批評家を相手に熱く語っていた。

その10年後の1990年夏、アテネ・フランセ文化センターでのドワイヨン初期5作品(『頭の中の指』、『小さな赤いビー玉』、『泣きしずむ女』、『あばずれ女』、『放蕩娘』)連続上映会が監督本人の来日と共に実現することにより、遂に私たちは彼の作品をまとめて観るという僥倖に遭遇する。この上映会は、それ以前に初めて正式公開されたドワイヨン作品『ラ・ピラート』(ジェーン・バーキン主演、1984年)が話題を呼んだ為に実現した企画だった(いまは亡き梅本洋一氏の尽力のおかげだ)。ここで上映された1974年から1980年までに製作された彼の初期作品は、ヌーヴェル・ヴァーグ以降の世代によって撮られた最初の傑作映画群ということになるだろう。一人の映画作家の知られざる作品を、その監督と共にまとめて観ることの興奮と感動を、筆者はそれ以降、残念ながら体験していない。それは「新しい何か」が産み出される瞬間に立ち会うという、稀有なる出来事だった。

その後のドワイヨンは1996年の『ポネット』を除けば、大して話題になることもなくなってしまった。日本では作品自体がほとんど公開されず、フランスでも当初の話題性はすっかり影を潜めたようである。その理由は、フランソワ・オゾンやオリヴィエ・アサイヤスなどの若い世代が台頭して来たことにより、ドワイヨン作品の持つ「衝撃」が緩和されてしまったことが大きい。しかしここに来て、彼の作品は再び注目を浴びつつある(2015年の『ラブバトル』公開)。ヌーヴェル・ヴァーグの洗礼を直に受けた世代と言えばフィリップ・ガレルばかりが注目されるが、もはや老境に達したドワイヨンが『ロダン~』で果たしてどういう演出を見せているのか、是非、観てみたいという気がする。

ところで、フランス映画祭と全く同時期に、特集上映『ロメールと女たち』が今年も同じ有楽町で開催されていた(昨年に引き続き2度目の開催)。昨年、そこに足を運んだ際、劇場に辿り着く前は、観客は自分と同世代のロメール・ファンだけだろうと筆者は思っていた。しかし、いざ行ってみると、大勢の若い観客――恐らく、大学生だろう――がチケットを買おうと並んでいる姿に出くわし、驚かされた。こういう状況を見ると、映画祭や特集上映というものが観客にとって「映画を発見する場」なのだ、ということを改めて考えさせられる。映画を発見する行為はそう簡単に終わらない、ということをこういう体験は教えてくれる。

そのような意味でも、フランス映画祭のようなイベントは今後も続いてほしいと思う。ジャック・リヴェットが溝口健二を「発見」した70年前のカルチェ・ラタンのように、私たちがジャック・ドワイヨンを「発見」した30年前の御茶ノ水のように、そして、現在、若い学生がエリック・ロメールを「発見」しつつある有楽町のように、あらたなる「発見」が世界のどこかでこれからも起こることを願うばかりである。