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デュラス生誕100年とアラン・レネの逝去

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2014年はマルグリット・デュラスの生誕100年だという。フランスでは幾つかの催しが準備されているそうだが、日本でもいち早く立教大学にて記念の国際シンポジウムが開催された(2014年3月1日、立教大学太刀川記念ホール)。「書くことこそ、と彼女は言う」という総タイトルのもと、総勢12名の研究者、翻訳者、批評家がデュラスについて熱く語った。

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基調講演に登壇した清水徹は「マルグリット・デュラスの世界―『愛人』を中心として」と題し、自身が翻訳し空前のベストセラーになったデュラスの代表作について、その出版の経緯を当時の文学状況の解説と絡めながら語った。

シンポジウムの第一部では「デュラスの映像作品」がテーマとなり、ストローブ=ユイレと比較する杉原賢彦(映画批評家)、日本映画への影響を検証する岡村民夫(法政大学)、デュラス作品の政治的意義を指摘する小沼純一(早稲田大学)など、興味深い報告が続いた。 反響が大きかったのはシンポジウムの第二部「デュラスの今日性」であろうか。とりわけ、デュラスの研究者として知られる小川美登里(筑波大学)が「世界の亡骸について書くこと―『ヒロシマ、モナムール』について―」と題し、デュラス=レネによる映画史に残る作品について詳細な分析を披露した部分は圧巻であった。この映画における「出来事(カタストロフ)」の記憶と忘却に関する意図された構造について小川は鋭いメスを入れ、「カタストロフ後の文学」の可能性と不可能性について問いを投げかけた。彼女の報告は否応なしに福島第一原発事故の問題を想起させるものだったが、聴衆の問いかけに対して断定を避けた点に報告者の真摯な姿勢を感じた。

第三部の「デュラスの多面性」はラウンド・テーブル。翻訳者・研究者としてデュラス作品に取り組んできた小林康夫(東京大学)、宇野邦一(立教大学)、澤田直(立教大学)の3人がそれぞれの立場からデュラス作品の可能性について語った。個人的には澤田が語った「デュラス作品における「横たわる女性」のイメージ」という話が印象的だった。テーマ主義だけには終わらぬ、作品の本質に関わる鋭い分析を澤田は示したと思う。にぎやかに続いたこの鼎談の後、デュラス研究に長く携わってこられたパリ第3大学のB・アラゼ教授による講演「伝説の世界に刻まれること」がしっとりと行われ、シンポジウムは興奮の中で幕を閉じた。

なお、まったくの偶然であるが、このシンポジウムが開催された2014年3月1日にアラン・レネがパリで亡くなっている。享年91歳。その生の最後まで現役第一線を貫いた映画作家の生涯を要約するのは容易ではない。ヌーヴェルヴァーグの誕生前から頭角を現し、1990年代、2000年代になっても次々に新作を発表し、『恋するシャンソン』(1997年)などのミュージカル路線でフランス映画界に存在感を示し続けた稀代の映画監督レネ。遺作のタイトルは « Aimer, boire et chanter »「愛して、飲んで、そして歌って」だが、この三つの動詞はまさに晩年の彼の境地を凝縮して表わしているように思える。しかし、映画史的には、やはり初期の三本、すなわち『夜と霧』(1955年)、『ヒロシマ、モナムール』(1959年)、『去年マリエンバートで』(1961年)の作家として残るのではないか。その意味で、デュラス生誕を記念するシンポジウムがレネを追悼するシンポジウムにもなったことは偶然とはいえ運命的な出来事のようにも思える。

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普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中