フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

Je suis comme je suis ソニア・リキエルという生き方

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この8月、ファッション・デザイナー、ソニア・リキエルが亡くなった。享年86才。その死をエリゼ宮が報じたことが示すように、フランスを代表するアイコンだった。

「何の知識もなかったから、やりたいと思ったことはなんでもやってみた。人がどう言おうとかまわない。私はとってもはげしい気性でワンマンだから、自分の望むものや自分自身の声にだけ耳を傾ける。私に対する人の態度はとてもはっきりしている。好きか、嫌いか、のどちらか。好きだという人は私のことをとてもよく思ってくれる。それ以外の人のことは、気にしない」

欲しいものを自分で作る

こんな心持ちの、ほっそりした赤毛の女性がファッションへのドアの開いたのは、自分の欲しいものを手にするためだった。二人目の子供を身ごもっていた時、着てみたいと思うマタニティウェアがどこにも売っていなかったのだ。お腹を隠すようなかさ高いデザインで、ちっともエレガントでない。ブティックを経営していた夫に頼んで、ふくらみが目立つ体にフィットする服を仕立ててもらった。姑は眉をひそめたけれど、子供のいる友人達は「どこに行ったら買えるの?」と絶賛した。

他にも着てみたいと思う服のアイデアがあったので、また夫に頼んでみた。イタリアのニット業者とやり取りの末できあがった「肩のない、体にぴったりくる小さめのニット」は夫の店にも並べられ、やがて有名百貨店も取り扱うようになった。手応えを感じた妻はまもなく夫と別れ、1968年、ファッションとは縁遠いサンジェルマン・デ・プレにブティックをオープンする。5月革命の発火点となったソルボンヌ大の学生のデモで、店は開店早々数日間のクローズを余儀なくさせられた。ファッション・デザイナー、ソニア・リキエルの誕生だった。

「私の服作りはなりゆきまかせ。雨が降っていたら、トレンチコートをデザインする。寒い日には、コートをデザインする。直感に従うの。」

芸術や政治の話題で会話がはずむ家で育ち、ファッションの世界とは縁遠かったソニア。(結婚する前服地の店で働き、布地に触ってはいた。彼女が手がけたショーウィンドウのスカーフのディスプレイをひどく気に入り、飾り付けた商品をみんな買ってくれた気前のいい客は、アンリ・マチスだった。)だからこそ、職業デザイナーが追求してきた女性の美や芸術性、技巧の美とは違ったものを求めた。外で働き、家や子供達の面倒をみながら、パートナーとも向き合う―そんな忙しい日々を生きている普通の女達が心地よく、いきいきと輝くための助けとなる服。価格も素材も生活と折り合っていて、それでいて素敵な「道具」を提案したい―そんな視点から生まれた彼女のデザインは大胆で、独創的で、実用的だった。

リバーシブルというアイデア

たとえば、リバーシブルのジャケット。2つの異なる表情を持ち、シーンに合わせて着回せる便利な一着。これまで誰も思いつかなかったアイデアだった。服飾を勉強した人にとって、洋服の裏は、細工をほどこし表側の美しさを支える隠されるべき部分でしかなかったからだ。しかしソニアには、そういう発想がそもそもなかった。縫い目が見えてしまう?いいんじゃない、デザインの一部。なんなら裾も切りっぱなしで仕上げてみましょう。

Tシャツのように、言葉をあしらったデザインのセーターを売り出したのもソニアが最初だ。せいぜいイニシャルが入るぐらいだった控えめな立場のセーターを、もの言う服に変えてみせた。Sensuousといった挑発的な言葉がポップな色で踊るセーターは、その服を選んだ女性の心意気をアピールする洒落たプラカードになった。

年齢、体型を意識したデザインをしなかったのも、ソニアらしい決断だ。若い女性を頂点に、少しでも若く見せたいと思う女心に配慮し年代別にデザインを用意するのが業界の常識。配慮に欠ける、繊細さがないという批判の声にも動じなかった。着る人をカテゴライズすることを拒否したのだ。

ファッション・ショーのあり方にも一石を投じた。デザイナーのイメージする美を体現する選ばれた美人が、顧客の前をしゃなりと歩き優雅にポーズを決めるというこれまでの演出方法がそもそもいやだった。私の服は、大勢の人に混じって街を闊歩する女達のためのもの。この見せ方はそぐわない―そこで彼女は、ショーの中でストリートを再現してみせた。キャットウォークに登場したのは、三々五々連れ立って歩くモデルたち。観客を意識せず楽しげにおしゃべりしながら歩く。今ではおなじみとなったこうした演出も、当時はとても衝撃的だった。1978年には、より挑発的なショーを企画する。全身ソニア・リキエルでまとめた着こなしは非現実的だと、自分のデザインした服と他人のデザインした服をミックスしたコーディネイトをモデルに着せて歩かせたのだ。こんな度肝をぬくようなアイデアを実現してしまうのが、ソニアなのだ。

気に入ったスタイルを大事にし繰り返すのも彼女の流儀だった。色とりどりのボーダー、1920年代のパリの女達を連想させるフェミニンなシルエット、ニットが可能にする柔らかなライン、黒と強くてこってりした暖色のコンビネーション。マンネリという囁き声も聞こえてきが、同じタッチの絵を描き続けたジャン・コクトーを引き合いに、反論した。長く続けること、少しばかり変えてみせても全く違う事をしないことこそが秘訣。ファッションの世界では、時代の風潮や気分に身をおきつつも、自分を忘れない事が大事。おかげで、彼女のスタイルは世間にすっかり浸透した。

女性が人生を謳歌することを願う

アメリカとイタリアにいる彼二人と三角関係を楽しむなど、プライベートでも女性であることをとことん楽しむ一方、ファッション・デザインはメチエと割り切り、化粧品や子供服も扱うグローバルなビジネスのオーナーであることも満喫した。しかし、常に彼女とともにあったのは、女達が人生を謳歌することを願う気持ちだった。

キュロットパンツの着こなしを提案したのも、足に自信が持てずスカートを苦手とする女性達を解放してあげたいという彼女らしい発想からだ。ソニアのたっぷりしたシルエットのキュロットは、スカート以上に優雅な女性らしさを演出した。スカートの替わりにパンツを提案し女らしさの呪縛から解放するだけではだめ。女性であることを本当にハッピーに感じられるよう私なりのやり方手助けをしたい―この思いこそ最後まで彼女を動かした熱であったと思う。

母親を苦しめたパーキンソン病に自分もかかっていると診断されていたのは十数年前。“Putain de Parkinson’s”とののしりながら付き合ったこの病気が悪化し傍目にもそれとわかる症状が出るまで、子供達にも隠し通した。最後まで自分らしさを貫き通した人生だった。

多様なソニアについてもっと知りたい方はチェックしてみて下さい。

小説や画文集を出版するなど、様々な表現に挑戦したソニア。マルコム・マクラレンのアルバム『Paris』にも参加しています。
youtu.be/tpkk8Zfd-BY

開店してまだ間もないサンジェルマンのアトリエ兼プティックでのインタビュー。 インタビューアーが煙草を吸っているのが時代を感じさせます。
youtu.be/Hnbc3z40ZsU

40周年記念のファッション・ショー。ライバル達に、ソニア・リキエルをモチーフにしたデザインを提供してもらうという大胆な試み。「変わらなさ」を逆手に取って他人を介しても輝くソニアの個性をアピールする場となりました。ソニアの発信し続けてきた女性のイメージの強さ、普遍性を感じます。
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GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。 門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。