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Simply, Lilly 女子を元気にするパームビーチのカラフルな魔法

ネットにアップされた1着のイメージを世界中のみんなが一瞬でシェアして、世界のあちこちで着こなしに取り入れられている、なんてことは当たり前となった今。それでも特定の国だけで熱狂的に支持されている ファッションというのもまだあると思うのです。

思い浮かぶのが、アメリカのブランド、リリー・ピュリッツァー。ちょっとひいちゃうぐらいの鮮烈な色とトロピカルでにぎやかなモチーフのプリントで知られています。ブランドがずっと提案してきたのは、カプリパンツやコットンシャツといった、常夏の高級リゾート地で過ごす時に着たくなるようなリラックスウェア。余計な飾りを付けずプリントの楽しさを生かしたノースリーブのコットンワンピース(シフトドレス)は、ブランドを代表する一着となりました。ビジネスをいったんクローズした時期があるものの、1960年の設立から今に至るまで、着るとハッピーになれるブランドとして、アメリカの女性達の共感と支持を集めています。今ではキッズラインからステーショナリー、クッションやベッドリネンといったリビングウェアまで幅広く展開し、3世代みんなリリーのファンというのも珍しくありません。ファッションの枠を超えた、スペシャルな存在—それがリリー・ピュリッツァーなのです。

ブランドの始まりそのものが、ファッションともビジネスとも無縁でした。有閑階級の若奥様、リリー・ピューリッツァーが、必要に迫られて一着のドレスをあつらえたことから、全てが突然動き出したのです。スタンダード・オイル社の設立メンバーを祖父に持ち、アメリカ東部のハイ・ソサイエティの一員として育った陽気な女の子、リリーは、21歳の時避暑地で出会った出版界の大物ピューリッツァー家のハンサムな御曹司と電撃結婚。夫が経営する果樹園があるフロリダのパームビーチに移り住みます。3人の子供にも恵まれ、知人友人とパーティ三昧の日々。そんな幸せ一杯な彼女を、不安発作が襲います。家族と離れ東部で療養した時医師にもらったアドバイスは「夢中になれるような趣味を見つけること」。夫はリリーに提案します。「うちの果樹園の果物でも売ってみるかい?」

小さなジューススタンドをオープンしたリリーは、ちょっとした問題に直面します。ジュースを絞る時に飛び散ったオレンジやグレープフルーツの果汁が服について、なかなか落ちないのです。ぱりっとした白いシャツは、しみだらけになって台無しになってしまう。しみが出来ても目立たない服なんてクローゼットにないし…そこでリリーは、庶民的な雑貨店で安く売られていた派手な柄のコットンのカーテン用生地を買ってきて、好みのデザインに仕立ててもらいました。ノースリーブで丈は短く、かがみやすいように両サイドにスリットを入れて…こうしてシフトドレスの原型となるドレスが完成したのです。

出来上がったドレスを着て店に立つと、驚いたことにジュースよりドレスについて客が熱心に聞いてきます。それなら、と同じデザインのにぎやかな柄のドレスを数枚、20ドル程度のお求めやすい値段でオレンジと一緒に売り始めたのです。ドレスは飛ぶように売れ、パームビーチの優雅な友人達がこぞって着始めた頃には、自分で注文をさばくことができないほどになっていました。これを機に、リリーはこれまたにぎやかな柄が大好きなオーナーが経営するテキスタイル会社を見つけ出し、オリジナルデザインのプリント生地を使ったドレスの製造に乗り出します。1961年に自らの名を冠したショップをパームビーチの目抜き通りにオープンした頃には、州外の高級百貨店、ブティックからも注文が舞い込むようになり、リリーは本格的にファッションの世界に身を投じてゆきます。

かつてのクラスメイトで親交を続けていた当時の大統領夫人、ジャクリーン・ケネディもリリーのドレスを気に入った一人でした。避暑地で取られた大統領一家の家族写真でジャッキーが着ていた明るい色のシフトドレスは国中で評判になり、リリーは時の人となります。全国の大都市や高級住宅地に次々ショップがオープンし、みんながリリーのドレスに夢中になりました。

何がそんなにウケたのでしょう?そのトロピカルで明るいプリントが単純に楽しい気分にさせてくれたということもあります。(9.11のテロの後数ヶ月間、ブランドは最高益を売り上げたそうです。)ヨーロッパからの借り物でない、アメリカの自然をモチーフにしたプリントは、アメリカの女性達の共感を呼ぶところがあったのかもしれません。

リリーのドレスが、人々が憧れるパームビーチの有閑女性のライフスタイルを喚起させたこともあります。何せとても大胆なプリントですから、仕事に着てゆく訳にはいきません。あくまでリラックスウェアとしてドレスを楽しめる場所とゆとりがある女達のものなのです。にぎやかなプリントながら素材はコットンでデザインも簡素であることも、ポイントでした。ファッションのひとつの側面である豪華さ、官能性をほのめかす要素は巧みに排除されているのです。ちょっとハメを外したような色柄だけれど、清潔で健全、華美に走りすぎていない。このバランス感覚が、リリーの出自であるアメリカの上流階級が伝統的に持つメンタリティにアピールしたのだと人気を分析する向きもあります。

しかし何よりも女性達の心をつかんだのは、リリーの作ったドレスの自由さでした。ファッションがまだ限られた人々だけのものであり、母でも妻でも娘でもなく自分らしく気ままに着ることを楽しめる時代は夢のまた夢だった当時、デザインの上でもボディラインの上でもフェミニンというよりは子供服に近い無邪気さを放ったリリーのドレスは、着るひとにつかのまの開放感を与えたのです。何せこんな服ですから、気取ったり背伸びする必要は一才なし。ビーチを裸足で駆け回った子供のころのように、リラックスして楽しみましょう!そんな隠れたメッセージを、当時の女性達は直感で読み取ったのではないでしょうか。

それは、リリー・ピューリッツァーがとても自由な心の女性であったことにあるかもしれません。あくまで上流階級の一員であり表に出ることを嫌うゆかしい女性であったリリーですが、とても開放的な一面がありました。例えば、どうしても必要という場合でなければ、靴は履きませんでした。また、アンダーウェアも窮屈で嫌い。(厚手のコットンをシフトドレスの生地に選んだのは、ブラなしでいることがわからないようにするためだったとか。)ファッションビジネスに身を置いてからも、リリーは自分らしさを優先させました。取引先が秋冬物の商品を提案してほしいと言ってきたとき、彼女はこう答えたと言います。「まあ、わかってないわね。世の中には年中夏ってところもあるのよ。」我が道を押し通したリリーは、図らずも一年通して夏っぽいラインを提案するユニークなブランドを作り上げ、リゾート・コレクションの先駆けとなったのでした。ビジネスウーマンとしての物の考え方を優先させていたら、今のブランドはなかったでしょう。

ビジネスの第一線にあった頃を振り返って、リリーはコメントしています。「ただただ、毎日が言いようもなく楽しかったわ。ドレスがお店で売られ、実際に着てもらっている。箱に詰められて、国のどこかへ送り出される。見ているだけでとてもわくわくしたわ。」彼女の「楽しい気持ち」は、今もアメリカの女性達を元気にしています。

今のリリー・ピュリッツァーを知りたいあなたは、こちらをどうぞ。
http://www.lillypulitzer.com/

GOYAAKOD@ファッション通信

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posted date: 2013/May/19 / category: ファッション・モード

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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