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教養や文系の活路はどこにあるのか?-アメリカの大学で進む文系離れ

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『クーリエジャポン』2013年11月号特集「そして理系が世界を支配する」収載の「ハーバードの学生たちに広がる急激な文系離れの波紋」という記事を読んだ。
アメリカの文系のキャリアを先導してきたハーバード大学で人文科学を専攻する学生が急激に減ってきているらしい。とりわけ就職に関して学生の疑念を抱かせている。つまり人文科学を専攻しても仕事がないということだ。また、どの学科を専攻すれば、大学4年間に投資する授業料と努力に対し、卒業後にどのくらいの金銭的リターンが得られるのか、というアメリカらしいランキングも同特集に掲載されていた。

1位が医学、2位がコンピュータシステム工学、3位が薬学と続く。15位までリストアップされていたが、文系の学問は13位の経済学のみ。超圏外のリベラルアーツに関しては「給料だけが大学教育から得られる唯一の報酬ではない」とコメントされていたという。

■元記事:Humanities Fall From Favor(June 6, 2013, Wall Street Journal) COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 11月号 [雑誌]

ハーバード大学の人文科学系を代表する、ポストコロニアル理論で有名なホミ・バーバ教授も、最近の学生の意識が就職市場と金儲けに集中していることを認める。しかし「若者は仕事に結びつく学部に進むべきという見識を、社会の本質を見ない未熟で矮小的なもの」と批判する。そして、人文学が重要な役割を果たす仕事はビジネスの世界にもあると主張する。
例えば、人文学で学ぶライティングや思考のスキルには社会に一定の需要があると。しかしそれは積極的な評価とは言いがたく、苦しい言い訳のように聞こえる。さすがのホミ・バーバも「人文科学は仕事に結びつく必要はない」と断言はできないようだ。

コスト意識、先行き見えない不景気の中での現実性?文系離れの背景

スティーヴ・ジョブズがカリグラフィーを学んだことで有名なスタンフォード大学には、人文科学担当の教員は全体の45%いるが、人文科学を専攻する学生は全体のわずか15%にまで下がっている。
2010年に全米で人文学部系を卒業した人たちは7%で、1966年から半減している。
ハーバード大学では1954年の36%から、2012年には20%まで落ち込んだ。
人文系学部への進学が就職に不利だということを証明する数字も出ている。
アメリカで大学を卒業したばかりの学生の失業率は英語学、宗教学、歴史学を専攻した学生は9%台なのに対し、化学の専攻は5%台だった。 それは現在の就職市場でハードサイエンスの評価が異常に釣り上っているだけでなく、学費が高騰し、学生が背負う借金が半端なく増えていることも原因だ。
そういう状況では学生にコスト意識が働くのは当然だし、学費の多くの部分が教師の人件費にあてられていると自覚するならば、教師も強いことは言えないだろう。
またアメリカの4つの州で共和党の知事が公立大学に対して、「学生が仕事につけない学部には補助金を出さない」と発言した。
「ジェンダーの問題を学ぶことは素晴らしいことだが、その場合は私立大学に行ってください」と。補助金が下りないとすれば、大学は専攻科目によって異なる授業料を設定することになる。
州の地元企業が採用したがる、科学、テクノロジー、工学、数学を学ぶ学生の授業料をディスカウントし、美術史、ジェンダー、古代ギリシャ、ローマ学を専攻する学生は、企業が採用しようとしない限り、彼らには高額の授業料が科せられるというわけだ。
財政状況が厳しい公立大学では人文学科系の学部が閉鎖されているようだ。アメリカでは公立に限らず、ほとんどの大学で経営陣から科学、工学、数学と言った分野を強化するように圧力がかかっている。理系の学科には連邦政府から潤沢な資金援助が受けられるが、人文系には資金が来ないのだ。

とにかく人文系は大ピンチである。 確かに仕事につける学部に入るようにインセンティブを働かせることは労働力の再配分という意味で合理的なことでもある。
授業料の違いは、需要のある成長分野に人材を適切に配分するという役割を果たすかもしれない。失業率の高さは、需要のある仕事に人が集まらず、需要のない仕事に人が集まるという、雇用のミスマッチがもたらすことが多いのだから。 先のホミ・バーバ教授は「学生の意識が就職市場と金儲けに集中している」と批判するが、金儲け志向というよりは、仕事に就けないかもしれないという不安が大きいのだろう。
先進国が恒常的な低成長の時代に入り、同時に新興国が台頭した結果、国境を越えた熾烈な競争が繰り広げられている。国内においては社会的な格差が広がり、社会の包容力が失われている。これらに学生の意識の変化の原因があるように思われる。そういう社会で仕事を失うことは致命的なことになりかねない。そのような状況で、大学は教養を身につけるというより、就職の準備をする場所として認識されるようになってきた。 ましてや新卒一括採用をしている日本ならなおさらのことだ。新卒のチャンスを逃すと一生正規の仕事に就けない可能性が高まる。

人文系の知識と教養の重要性を説き続け、現代の教養人を体現している佐藤優氏も、人文系学部に入ることを勧めつつも、同時に公務員試験の勉強を怠らないようにとダブルスクールを勧める。佐藤氏自身が神学部卒で外務省に入っている。 日本では60年代以降、雨後のタケノコのように大学が作られた。その多くが文系大学だったのは実験や実習の設備などが不要でコストが安かったからだ。
さらに言えば、日本の文系大学はサラリーマン予備軍をプールする場所だった。サラリーマンは特別なスキルや専門性を問われない。つまり大学時代に何をしたか、何を学んだか問題にならなかった。むしろ社風に染めるために白紙状態が好都合だった。
現在、仕事の海外移転などによって、次第にジェネラリスト的な仕事をするサラリーマンが要らなくなり、成果やスキルベースの働き方に移っている。サラリーマン的な仕事はなくならないにしても、誰でもできる仕事は賃金が下がって行く。スキルと言った場合、それは主に理系分野だ。企業で扱われる技術が専門化し、高度化し、ジェネラリストが対応できる範囲を超えてしまったということだろう。この傾向はさらに進むと言われている。

文化・教養のリテラシーはどこへいくのか

かつて文化や教養は有閑階級が担っていた。普通の学生が大学で人文科学を学べるのは社会にそれだけ余裕があったということかもしれない。
竹内洋が『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化教養の没落』で検証しているように、日本において教養は新興階級の成り上がりの手段でもあった。その証拠に現在、文化や教養に注目が集まるのは、むしろ経済成長著しい新興国だ。経済的な成長の見込めない先進国は、文化資本の蓄積が細り、再び教養や文化に見放されるのだろうか。近年、日本のDQN化=反知性主義的な傾向が強まっていることが指摘されているのも偶然ではないだろう。

しかし大学は手をこまねいているわけではない。ハーバード大学は、ちゃんと幅広い学際的な枠組みを作って、人文学部に学生を引き留めようとしている。またインターシップのネットワークを作って、労働市場の文系学位の価値を確立しようとしている。ハーバード大学の人文科学学生部長は「学問より就職が重視される反知性的な時期に、私を含め芸術・人文科学系の人間にとって重要なのは、その方向についていく創造的かつ積極的な方法を見つけることだ」と断言している。

「その方向についていく」とはちゃんとマーケットの動向に対応していくということ。教養とマーケットは決して背反するものと考えられていないのだ。(続く)

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