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橋爪大三郎×大澤真幸 『ふしぎなキリスト教』(3) 宗教と科学の両立

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キリスト教の最大のふしぎのひとつは、現代のキリスト教徒たちが、どのようにキリストの起こした奇蹟と、科学のあいだで折り合いをつけているか、ということだ。ふしぎというよりはとりわけ現代人の誰もが抱く疑問だろう。神による天地創造と、進化論の矛盾がその典型だ。

それに対して橋爪氏は、科学が宗教と対立すると考えるほうがナンセンスだと言う。科学は本来、神の計画を明らかにしようと自然法則の解明に取り組んだ結果生まれた。宗教の副産物なのだ。しかし結果的に聖書に書いてあることと違う結論に至った。

そこで多数派の信者たちは「科学を尊重し、科学に矛盾しない限りで、聖書を正しい」と考えることにした。そうすれば科学も宗教も正しいと考えることができるし、進化論も地動説もビッグバンセオリーもキリスト教文明の一部に組み込める。これに対して福音派のように聖書を文字通りに正しいと信じる人たちがいる。極端な考え方に見えるが、アメリカでそれなりの勢力を持っている。しかし彼らもまた「聖書を尊重し、聖書に矛盾しない限りで、科学の結論を正しい」と考える。こうすれば矛盾なく信じることができる。科学を話半分と考えるか、聖書を話半分と考えるか、極めつけの合理主義なのである。

もうひとつ理性の問題がある。ギリシャ哲学から理性という概念が入ってきて、宗教的に再解釈された。理性によって神はとらえられないが、神が創造したこの世界は、神ではないないから、人間の理性によってすべて解明できる。その解明の作業に突き進むのも信仰のひとつの道である。このような「理性に対する信頼」と、「世界は神の被造物であるという確信」が、自然科学の発達の両輪になった。

「世界は神が造ったが、それは人間の前にモノとして残された」。このような世界観を成立させ得たのはキリスト教だけだ。イスラム教も仏教も、そういう考え方はしない。さらには、理性によって神の設計図を解読するだけでなく、神が去ったあとの世界を管理監督する権限が人間にあるとされた。そこには自由利用権も含まれている。自然科学の発展は結果的に著しい環境破壊をもたらしたが、徹底的な自然の利用(それは自然科学の応用でもある)はキリスト教的な世界観がないとありえないことだった。

一方で、預言者の存在は、言葉が絶対の支配力を持つことへの絶対の信頼をもたらす。預言者は神の言葉を預かり、権威をもってトップダウンで伝えるので、言葉の絶対的な性能を研ぎ澄ますことが出来る。この伝統から神学、哲学、科学、ジャーナリズムが生まれた。また19世紀に確立した体系という考え方は、その外に立つ神の視線があって初めて完結する。まず世界には単一の秩序があり、その外に秩序の全体を把握できる特権的な視点がある。そしてそれを言葉の体系にそっくり写し取ることができる。それゆえ1冊の書物の中に世界が内在できる。「体系」には聖書を聖典とするキリスト教的な神の背景があることは明らかだ。

キリスト教はそれを信仰している人々だけの問題ではない。先回、戦後の日本を支配する重要な概念がキリスト教由来だと書いたが、宗教に関心がない、教会に行っていないとしても、無意識のうちにキリスト教的なエートスや行動様式や考え方を採用している場合が多いのである。キリスト教から脱したというその地点こそが、キリスト教の影響によって拓かれている。そういう逆説がキリスト教の不思議なのだ。例えば、神の存在を括弧に入れたカントも、「宗教はアヘン」と言ったマルクスもそうだ。カントの定言命法はカント風にアレンジされた「キリスト教的隣人愛」という形をとっているし、マルクス主義は全体的な構想も思想を構成する部品もキリスト教そのもの。マルクスが宗教を嫌ったのは、マルクス主義そのものが宗教的だからなのだ。 (了)

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