フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

橋爪大三郎×大澤真幸 『ふしぎなキリスト教』(2) キリスト教と言葉

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戦後日本に接続された、日本国憲法、民主主義、市場経済、科学技術、文化芸術。これらすべてはキリスト教世界に由来している。ゆえに「キリスト教がわからないと今の日本もわからない」というのが、2人の社会学者の対談の出発点である。さらに言えば、宗教がわからないと世界で起こっていることもわからない。あの池上彰氏も『宗教がわかれば世界が見える』(文芸春秋、2011年7月)とおっしゃっているではないか。

人々の関心が歴史に向かっているとすれば、現在に行き詰まりを感じているから、自分の足元を確かめたいからだろうか。1999年をクリアしたあと、再び終末論が飛び交うようになった。まさに「ニセ預言者たち」が乱立し、キリストが再臨しそうな感じになってきた。世界が未来の展望を失っている状況で、未来に背を向け、蓄積された膨大な歴史のデータを一望することは多少気が休まることかもしれない。歴史をちょっとばかりシャッフルして、キリストと仏陀をアパートに同居させたり、古代ローマ人を現代日本にタイムスリップさせるのも楽しい。橋爪氏のボケと大澤氏のツッコミは歴史をネタにした知的な漫才ですらある(橋爪氏があとがきで自らそう言っている)。何だか『聖☆おにいさん』とノリが通じるところがあり、サブカル的な匂いもする。

未来の展望がないといえば、現在キリスト教国の連合体である EU が連鎖的な経済危機に陥っている。ヨーロッパの終焉がささやかれているほどだ。しかし、そんな中でも、ドイツをはじめとするプロテスタント系の勤勉な国々が比較的元気なのも興味深い。

前置きはこれくらいにして、今回は、キリスト教の拡大と言葉の関係に触れてみよう。

新約聖書の大半を書き、キリストの言動に含まれる論理を取り出し、意味づけ、キリスト教の原型を作ったのはパウロだ。彼はユダヤ人だったが、ヘレニズム世界に育ち、ギリシャ語が堪能で、ローマの市民権も持っていた。最初はキリスト教徒を迫害する側だったが、ある日、復活したキリストに出会い、回心する。イエスと12人の弟子はヘブライ語を話していたが、ヘブライ語ではヘレニズム世界には伝わらなかった。パウロはギリシャ語が堪能で、今で言えは英語がペラペラの国際派。彼によってキリスト教はヘブライ語圏を超え、ヘレニズム世界に布教できるチャンスが生まれたのだった。

キリスト教のスポンサーであったローマ帝国が395年に東西に分裂したあと、典礼の言葉として東方教会はギリシャ語を、西方教会はラテン語を使った。東方教会は新しい地域に布教するのにその地域の言葉を典礼に採用したので、ロシア正教会、セルビア正教会などのように、総主教座が言語ごとに分裂していった。ラテン語の使用しか認めず、カトリック教会を分裂させなかった西方教会と対照的だ。それは「ひとつの教会と多くの国家」という西ヨーロッパ世界の土台を作り、それはEUにも引き継がれている。

東方教会は聖なる言語であるギリシャ語にこだわらず、現地語を積極的に使う戦略をとった。この戦略は現地の人々に受け入れられやすい反面、一神教の神の圧倒的な超越性を損ないかねない。一方、聖なる言語を守れば、神の超越性が侵されることはないし、教会の統一性にひびがはいらないが、ラテン語がわかる知識人でないと、聖書も読めないことになる。そうなると民衆は自分に納得する形で聖書を解釈し、内面化することができない。しかもキリスト教は一神教なのにイスラム教のように宗教法がなく、その中身は学説だ。それを民衆に説明するのが何よりも重要なのだが、ラテン語で語れば、民衆はそれを理解できないことになる。そこで十字架のキリストや聖人画、音楽や儀式が大きな役割を果たすことになったのだ。

聖書をいかに内面化するか。ルターはそのために聖書を俗語に訳した。プロテスタントの聖書中心主義において翻訳は重要なことだ。神とのあいだを媒介する儀式がなく、聖書を通して直接神に向かうプロテスタントだからこそ、自分の言葉で読める聖書が必要だった。しかしそのような場合、東方教会がそうであったように、言語的=文化的に閉じた世界がいくつもできあがってしまう。大学院生のころ、英語による新約聖書の解釈本の翻訳を引き受けたことがあり、その際に、英語の聖書と日本語の聖書の対応関係を吟味する機会があった。言葉のひとつひとつの概念からして、英語の聖書から受ける印象はずいぶんと違った。私が抱いていた聖書のイメージは日本語に即し、日本のイメージに還元された独特のものだったことを思い知らされたものだ。翻訳によってある程度中和されているとはいえ、文化的、時代的違和感どころか、あまりにシュールすぎる箇所も多い。ロトの客人に男色行為を求めるソドムの町の男たちや、ロトが寝ているあだいに性行為におよんで子供をもうけた彼の娘たちのエピソード。自慰行為の語源になったオナンのエピソード。皮袋に入ったぶどう酒とか、巨大化するカラシ種の木。ネブカドネザルとかベルテシャツァルとかいう王様や預言者の名前の不思議な響き。「もし男が、野で、婚約中の女を見かけ、その女をつかまえて、これといっしょに寝た場合は、女と寝た男だけが死ななければならない」とか性行為や呪いや穢れの細かい規定。そして、ユダヤ教やキリスト教が生まれ育った過酷な気候条件と不毛な土地を現実に見る機会があれば、さらなる文化的なショックを受けることだろう。(続く)

 

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