フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

ポーランド書店と「戦場のプルースト」

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外国人が多く住むパリには、外国語(つまりフランス語以外)の本を専門にした書店がいくつかある。そんななかでも、僕が好きなのが、サン=ジェルマン大通り123番の「ポーランド書店」だ。重い扉を押して、細長い店内に入ると、ポーランド関連のフランス語書籍が、背の高い本棚にぎっしりと並べられている。鉄製の狭い螺旋階段を上ると、ポーランド語の書籍を並べた隠し部屋のような二階に上がれる。僕はポーランド語は読めないが、ものすごく「文化」を感じる場所で、つい訪れたくなる。

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この書店の母体は、帝政ロシアに対する11月蜂起(1830年)に失敗した亡命知識人が、1833年に創立したポーランド文芸協会である。フレデリック・ショパンは、同協会の初代運営委員だった。書店の方は、当初はヴォルテール河畔に店を構え、ショパンはよく立ち寄っては、ミツキェヴィッチなど、同郷の文学者と議論したという。1925年に、書店は現在の住所に移転。ここでかつて入手した『プルースト、堕落に抗してProust contre la déchéance』という本を、今回紹介したい。

著者のジョゼフ・チャプスキー(Joseph Czapski, 1896-1993. ポーランド語読みではユゼフJózef)は貴族出身で、1920年代に「カピスト派」の画家として出発した。パリに出てきた彼らは、幸運にも、同郷のミシア・セールMisia Sertの庇護を受けた。その美貌と教養で、マラルメからフォーレまで、パリの芸術家たちを虜にしたミシアは、ミューズとして名高い人物である。彼女の援助のおかげで、チャプスキーはパリの画壇へ入ることができた。

しかし、1939年に、独ソ不可侵条約の秘密条項に基づいて両国による東西からのポーランド侵攻が始まると、ポーランド軍の将校に任じられていたチャプスキーはソ連軍に捕えられ、グリャゾヴェツ捕虜収容所に送られてしまう。同房者の大半は後に、ソ連軍による将校の処刑、いわゆる「カティンの虐殺」の犠牲者となった(詳しくはアンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』をご覧いただきたい)。

チャプスキーは、同房の仲間たちと「連続講演会」を企画した。すなわち、自分が得意な分野について、毎晩誰かが話すというものだ。そこで彼が選んだのが、1924年の入院中に読んだプルーストだった。彼の「講義」は、まず『失われた時を求めて』の文学史的背景である自然主義と象徴主義の並行関係を指摘し、その代表として画家ドガを挙げる。プルーストは科学的なまでに正確な描写と分析を展開する一方、連想と比喩による喚起力において象徴主義的な作風をもつ作家であり、ドガとの接点がある、とチャプスキーは考えた。

また、『失われた時を求めて』をポーランド語に訳したボイ=ツェレンスキーが、「読み易いプルースト」を作り上げたことを批判した。パスティッシュの得意なプルーストが、あらゆる文体を駆使できるにもかかわらず、あのような文体を選んだことには、作家としての責任を見るべきである、と言うのだ。また、『失われた時を求めて』は、社交界や美や恋愛の空しさを語る点において、パスカルに比すべき作品と見なされる。さらに、フェルメールの絵の前でのベルゴットの死は、晩年のプルーストが「死に対してもはや無関心」な芸術家の境地に至ったことを示している、と考えた。

こうした評価は、通常のプルースト批評からは大きく外れている。しかし、これは収容所にあって、チャプスキーがプルーストのなかに見出した慰めだったに違いない。いつ殺されるか分からない状況にあって、画家は、生の空しさを直視し、死を間近に感じながらも仕事に没頭した作家像を、半ば理想化しつつ、描き出す。本書に見出されるのは、プルーストの「快楽」を語りがちな平和な批評家には見えない、死を前にした厳しいモラリストとしてのプルースト像である。

チャプスキーは、生き残った。しかし、終戦後は共産主義に転じた祖国を離れ、フランスに定住し、亡命ポーランド人の仲間とともに『クルトゥーラKultura』という雑誌を創刊した。この雑誌は、2000年までに637巻が刊行され、ユネスコの「世界の記憶」に登録されている。もちろん、パリのポーランド書店でも販売された。パリ郊外にあるメゾン・ラフィットのチャプスキー邸は、雑誌の編集部でもあった。彼の厳しくも温かい人柄は、ジル・シルヴァーシュタインの感動的な回想に詳しい。

『プルースト、堕落に抗して』は、獄中のメモと記憶をもとに、1943年にフランス語でタイプ原稿が作られ、1948年にポーランド語訳が『クルトゥーラ』に発表された。僕が入手したフランス語版は、1987年にNoir sur blanc社から刊行された。この出版社は、ポーランド語やロシア語の書籍のフランス語訳と、各国語の書籍のポーランド語訳の両方を刊行しており、パリのポーランド書店も拠点の一つである。本書はその後、文庫版も刊行されている。

晩年のチャプスキーの姿は、デヴィッド・リンチやゴダールなど、5人の監督が参加したオムニバス映画『パリ・ストーリー』(1988)に収録されている短篇映画「プルースト、わが救い」(アンジェイ・ワイダ監督)で見ることができる。この本の刊行の翌年に取材したもので、陰影のある室内の風景のなかで、しわがれた声の老人が、プルーストに支えられた捕虜収容所での生活を振り返っている。極限状態にあって、外国文学が精神の「堕落」への抵抗の根拠となったことは、驚くべきことである。しかし、あり得ないことでもない。外国語の読書が、それほどまでに深く受容されることもあるのだということを、この「戦場のプルースト」のエピソードは示唆している。

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1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。