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鹿島茂 『悪党が行く-ピカレスク文学を読む』

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文化講座でお題をいただいたので、ピカレスク小説に関する本をいくつか読んでいる。重要参考書のひとつが鹿島茂氏の『ピカロが行く』だ。ピカレスク小説は悪漢小説と訳され、スペイン語の「悪漢、悪党」を意味する「ピカロ」を語源とし、作品としては16世紀のスペインで書かれた作者不明の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』にまでさかのぼる。つまり、悪人、悪党を主人公にした小説なのだが、ピカレスク小説は、悪や悪党はなぜこれほどまで人の心をひきつけるのか、作家はなぜ善人よりも悪人を描きたがるのか、さらには悪党はなぜ女性にもてるのか、という問いにつながっていく。

悪党(ピカロ)が行く―ピカレスク文学を読む (角川選書)ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)ピカレスク小説名作選 (スペイン中世・黄金世紀文学選集)

鹿島氏はモーリス・ブランショやジョルジュ・バタイユの悪の定義に違和感を表明しつつ、悪をなすことはショートカットの魅力だと主張する。それをマラソンにたとえると、ショートカットとはインチキや近道をして1位になることだ。人生はしばしばマラソンに例えられる。決められたコースを地道に走ること。すなわち、何十年もコツコツ働いて、退職金と年金をもらう。お金とは地道な努力の報酬なのだ。

その美徳に真っ向から逆らって、一獲千金の金儲けを企てたり、他人の蓄財を奪うことは、ショートカット的な人生だ。もちろん、凡人は少なからずそうすることに魅力を感じてはいる。しかし、ルールにしばられ、罰せられる恐怖からそれをしないのだ。またショートカットをするにしても条件があり、それが愚かさや弱さから出たものだとすれば、単にカッコ悪く、惨めなだけで、ヒーローには決してなれない。文学的な価値がないのだ。

悪党は断固たる意志に基づいてショートカットを実践する。それが悪や悪党の魅力である。私たちは正義であれ、悪であれ、断固とした意志を持つものにあこがれる。それはエロティシズムとも密接につながっている。ショートカッターはエロティックなのだ。シャルル・ボードレールは次のように言っている。「愛の唯一至上の快楽は、悪をなすという確信の中にある。そして、男も女も、悪の中にこそいっさいの快楽が存することを生まれながらに知っているのである」。

そのボードレールが念頭においていた悪のヒーローこそが、バルザックが『ゴリオ爺さん』で創造したヴォートランという人物だ。ヴォ―トランはショートカットの哲学を南仏の貧乏貴族の息子、ラスティニャックに吹き込み、馬鹿げた服従か、それに反抗するかを迫る。このままじゃお前の人生なんてたかが知れている。「金持ちになるんだったら、このパリじゃ、一か八かの大バクチを打ってみるにかぎる。さもなけりゃ、せこい暮らしで一生終わりだ。はい、ご苦労さん」。そして、一度ショートカットを行うポイントをしっかり意識したら、方法を選ばずに、強い意志を持って目的実現に邁進する。それも単なる思い込みではなく、冷徹な人間観察に基づかなければならない。

ピカレスク小説の原点、『ラサリーリョ』に関して言えば、社会という真っ当なマラソンコースを走れずに、コースの外で小競り合いをしている感じだろうか。19世紀のフランスは成り上がる社会的な土壌が整備されているが、16世紀のスペインはまだその段階にはない。この本は16世紀半ばごろ、ちょうどスペインの黄金時代に書かれた。そのころのスペインは中南米から金銀財宝を収奪していたが、肝心の食糧である小麦が不足していた。おかげで貧富の差が拡大し、街には多くの浮浪者、ならず者、乞食がはびこっていた。彼らがピカロと呼ばれる張本人だ。

鹿島氏によれば、この小説は悪知恵を働かせ、悪党を出し抜く、「悪知恵比べの小説」と定義される。ピカレスクの原点は、「善対悪」(確信犯的に善に挑む悪)の物語ではなく、「悪対悪」(悪どうしの小競り合い)の物語だった。 『ラサリーリョ』の主人公ラーサロは貧しい家の出身で、10歳にもならないうちに、盲目の祈祷師に引き渡され、彼の手引をすることになる。ラーサロは祈祷師と別れたあとも、新しい師匠たちのもとを転々とするのだが、師匠たちは表の姿とは裏腹に、ケチで欲深く、人をだまして生きる悪党だった。少年はのっけから祈祷師にだまされて牛の石像に頭をしたたかにぶつける。その瞬間に子供の無邪気さから目覚め、「自分はひとりなのだから、自分の身は自分で守らなければならない」ことを悟る。

少年の師匠たちは教育者として、悪党を出し抜く悪知恵、つまり法も人権もない、過酷で混沌とした時代をサバイバルする処世術を身を持って教える。しかしケチな師匠たちは知恵を授けても、食べ物は与えない。おかげでラーサロはいつも腹ペコで、厳重に保管された師匠の食べ物をくすねることに執念を燃やす。この物語の半分は師匠と少年の食べ物を巡る攻防のドタバタで占められている。少年はそうやって悪知恵比べの戦果を積み重ねることでもサバイバル力を獲得していく。

このように、ピカレスク小説は若い主人公が偶然出会った恩師から知恵を授かることで主人公が成長を遂げる、一種のビルグンドゥスロマン(教養小説)の形式をとる。フランスに移植されたピカレスク小説であるアラン・ルネ・ルサージュ『ジル・ブラース物語』(1715〜35年)もまたそのような形式を持っている。バロック時代の小説は人々を楽しませる以外に、人々を教化する役割も持っていた。これは必ずしもキリスト教的な教化ではなく、悪人に騙されないようにと導く教化であった。主人公であり、語り手でもある17歳のジル・ブラースは留学のためにサマランカの大学に向かうが、途中で様々な悪党と出会い、世間知らずのうぶな彼はものの見事に騙され続ける。しかし、だまされる中で彼自身も悪知恵を身につけ、したたかな人物に成長する。これがピカレスク小説の基本文法なのだ。

ピカレスク小説のもうひとつの特徴は主人公の遍歴性にある。悪知恵に長けた主人公は都市から都市へ、人から人へと渡り歩く。主人公は次々と襲いかかる試練を克服し、悪知恵には悪知恵で対抗するのだが、試練には終わりがない。ピカロは自分の社会的条件を改善しようとするが、いつも失敗し、ピカロのままでいる。偽善を行う有力者に加担はするが、自分自身は社会を動かすような立場には絶対に昇格できない。先の例えで言えば、決してマラソンのコースに上がれないのだ。ピカロとして語り、行動することから逃れられない。したがって小説の形式も反復されるしかない。読者が繰り返しに退屈しないために、物語はむしろ悪い方向へ展開する。

ラーサロが盲目の祈祷師の次に出会ったのは司祭だったが、彼は「この世のすべてのさもしさといやしさ」がつまった人間で、彼に比べれば祈祷師は「アレキサンドロス大帝」に見えるくらいだ。ラーサロは司祭から4日に1個の玉ねぎしか与えられず、常に餓死寸前の状態におかれる。ラーサロはさらなる強者の悪党から食べ物をくすねるために、さらに際どくスリリングな知恵比べをすることになる。読者はラーサロが司祭と手を切って、もっとましな主人に仕えればいいと思うだろう。しかし彼がひとりの師匠に執着するのは、新しく見つける師匠はさらにひどい人間だという確信があるからだ。

またピカロの遍歴性は、主人公がいろんな階層の人々と出会うことを可能にする。各階層を代表するような営みの中に入って行くことによって、それを批判する視点を獲得するのだ。文学的形式を重視する、つまりは形式によって現実を捻じ曲げている、悲劇や喜劇や説話や歴史物語とは違って、ピカレスク小説は規則がないので、社会と人生の無限の多様性を描くのに適していた。それは嘘くさく、古い時代の小説、騎士道小説や牧歌的なロマンスへの批判でもあった。 ピカロの視点はひとつの自由な語りの形式を与えている。何よりも彼は立場的に自由である。彼はピカロであるが、ピカロたちの中に埋没せず、確かな批判精神と視点を持っている。

それは客観性と明確な視点を持つ主人公を前提に置くリアリズム小説の先駆けになった。リアリズム小説はリアリズムに徹して面白くない単調な現実も描写するが、ピカレスク小説はあざけりや幻滅によって面白さを生み出している。 小説が登場する前は、大道芸人的な語りによって物語は語られていた。その際、ひとつの続いた物語であれば、途中が抜けるとわからなくなる。しかし、主人公と敵のキャラクターが決まっていて、状況が変わるという設定ならば、その回ごとに楽しめるし、語る方も無限に物語を反復できる。その都度、新しいエピソードが導入され、語られる物語は際限なく続く。これはピカロ的な存在を主人公にしたシリーズものの発現である。

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ピカレスク・ロマンの哲学は、例えば、多くの西部劇に受け継がれていると言われている。しかし西部劇は基本的に白人を善、インディアンを悪とした勧善懲悪なので、ピカレスク・ロマン的と言えるのは、むしろ西部劇のイタリア版、いわゆるマカロニウエスタンだろう。このジャンルを世に知らしめたクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』の元ネタは黒沢明の『用心棒』である。『用心棒』が象徴するように、日本の時代劇はピカレスクな作品の宝庫である。法の支配が行き渡らず、悪党がのさばる混沌とした時代に、各地を放浪する浪人や渡世人。剣術の確かさや狡賢さを武器に、その土地の親分に世話になって何とか糊口を凌ぐ。「座頭市」もこの範疇に入るだろう。「座頭市」は勝新太郎の演じる、キャラの立ったピカロ的な存在を主人公にし、何作もの傑作映画を生みだし、テレビシリーズにもなった。世の中一般とヤクザ社会に向けられる、彼の長ドス同様に切れ味の鋭い批判や、筋の通った倫理も忘れてはいけない。

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