フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

『宮台教授の就活原論』

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小4の息子の周囲ではすでに「お受験」に向けて塾通いを始める友だちがぽつぽつ出始めている。友だちのT君は電車で20分かかる遠くの塾まで通い、帰宅は午後10時を過ぎるのだという。中学受験は「いい学校、いい企業、いい人生」の重要な関門である。しかし、宮台先生は「いい学校、いい企業、いい人生というレールはもうない。せめて学歴だけはつけてあげたいとして「お受験」にいそしむ親たちは、その意味で単なる馬鹿である」と手厳しい。「その意味で」とは、「お受験」コースを歩んできたような人間はこれからの企業では使いものにならないし、「いい学校、いい企業、いい人生」が前提としてきた社会が大きく変わってしまったからである。

宮台教授の就活原論それは同時に、親と子供のあいだに決定的な世代ギャップがあり、親が子供にアドバイスすることが難しくなったことを意味する。日本の年長世代が当然のものとしてきた生き方を、若い世代が選ぶことは絶望的に困難だし、昔の人が良く言う「コツコツと真面目に働けば報われる」可能性はかなり低い。昔の価値観をひきずる親のアドバイスは逆に学生を崖のある方向に導きかねない。そのギャップを認識するためにむしろ親が読むべき本かもしれない。

その大きな要因は、親の時代とは企業のあり方が大きく変わってしまったことだ。企業が永続的な組織でなくなり、終身雇用制や年功序列制を保証できなくなった。経営環境が変化すると企業も変わらざるをえない。企業が生き残るためには看板を自在に取り換え、目標やシステムを柔軟に変化させることが重要になる。だから企業が10年後に何を作っているのか、どんなサービスを提供しているのか、どの部門が成長し、どの部門が切り捨てられるのか誰にもわからない。

高度成長下では変わらない企業文化を維持しながら、余計な選択コストを考えずに企業は邁進することができた。背後に迫るような新興国は存在せず、敵は欧米企業だけだったからだ。数年前、シャープやパナソニックがこんなに苦戦し、大規模なリストラを迫られることを誰が予想しただろう。絶好調のグーグルやアップルだって10年後、どんな形で生き残っているか誰も予想できない。そんな状況下で終身雇用や年功序列はもはや不合理極まりないシステムになりつつある。

宮台先生がこの本を書いた動機として、大半の就活本が、自己啓発本で「癒しを提供しつつ、デタラメな企業社会に適応を促すもの」で、それに著しい違和感を覚えたからだと言う。また、社会全体がどうなっているのか、どういう方向に動いているか意識せずに行動することが、いかに無意味であり危険であるか警鐘を鳴らす。

この本の重要なポイントは、就活において「適応」ではなく、「適応力」が推奨されていることだ。「適応」とは変わらない社風に自分を合わせる一回きりの適応であり、終身雇用制度に対応する構えだ。それは社畜の構えということもできる。宮台先生は雑誌のインタビューで社畜とは「社会性が存在せず、会社の威信やステータスを、自分自身の威信やステータスだと勘違いし、その分、会社を放り出された途端に、すべてが終わるタイプの人たち」と定義している。一方、「適応力」は変化する企業に柔軟に対応しながら、潜在力をその都度顕在化させる能力だ。ひとつのことしかできない、ひとつのことしかする気がない人間を雇うことは、企業にとって雇用リスクを上昇させることになる。

これまでの受験勉強もまた「適応」のための勉強ということになる。小中高大という教育シリーズにおいて学歴競争に勝ちあがってきた事実が保証するのは、ある種の事務能力、つまりは与えられた課題をそつなくこなす能力だ。大学もまた「適応」のための人材のプールであった。かつて学生たちは大学時代を遊んで過ごし、タブラ・ラサ状態で採用された。そして、あの悪名高い新人研修によって企業文化を徹底的に叩き込まれ、企業という共同体の中に生まれ直したのである。

一方、就職に際して評価の対象となる最も重要な能力と言われるコミュニケーション能力は「適応力」にかかわることだ。コミュニケーション能力とは、他者の視座を持ち、他者の意図を理解する能力、自分と相手との違い、相手の欲求と自分の欲求の違いを瞬時に見抜く能力だ。それゆえ、採用面接でどうふるまうべきかは「相手と状況」に依存し、状況によって引き出せる適切なロールモデルを用意しておく必要がある。就活には何よりも「適応力」に基づく戦略的なコミュニケーションが必要になる。悪く言えば、今の仕事には一貫性にこだわらない解離的な人格が要求されているわけだが、そういう意味においても、仕事での自己実現を目指すことは危険なことなのだ。

むしろ仕事とは別の場所に「帰還場所」を作ること。市場を自己決定=自己責任的な諸個人が丸腰で戦う場所だと思っているのは日本人だけだ。いつでも帰還できる癒しの場所があるからこそ、「状況に応じてうまく生きろ」と過酷な要求をされても耐えられる。北欧の国々が働きやすく、幸福度が高いのは帰還基地作りをフォローアップするための制度設計がうまくできているからだ。したがって「ライフワークバランス」とは「仕事と家庭の相補的な関係、仕事に依存しすぎた人生の安全保障上のリスクを考えること」であって、趣味の時間を確保しようなどという浅はかな話ではない。

お受験の弊害は帰還場所作りに関しても言える。小中高の大事な時期に人を蹴落とし、人の足を引っ張ることに明け暮れていると、信頼できる友達や性愛のパートナーを作る修行がないがしろにされてしまうのだ。それでは仕事への成功も、幸せな人生も望めなくなる。安心できる場所を持たず、不安ベースで生きている人間は環境(つまり会社)に過剰に「適応」してしまう。帰還場所を持ち、信頼ベースで動く人間は、逆にどんな環境においても柔軟に「適応力」を発揮する。宮台先生は目標とされる人間像を「セコくない人間」、「リスペクトされる人間」、「一人さびしく死なない人間」と的確に設定する。これらは帰還場所を育むためには不可欠な属性であり、帰還場所を獲得した結果でもある。

一方で、経験値を上げ、「適応力」をつけるために「衝撃的な師匠に出会え」とか、「上には上があると打ちのめされろ」とか、宮台先生のアドバイスは普通の学生にはかなり敷居が高い。そう簡単にスゴイ師匠に出会えれば誰も苦労しない。しかもスゴイやつとの出会いは親から受け継いだ文化資本(親の人脈など)のひとつだったりして、これまた格差の再生産の本丸だったりする。

新しい価値を自ら創造し、変化に対応し、変化を生み出していく人材。組織的、対人的には、柔軟にネットワークを作り、必要性に応じて人を使いこなすスキル。これらの能力は勉強で詰め込めるものでもないし、マニュアルも存在しない。また要求されるものに決まった形がないし、要求に際限がない。それらは個人の生まれつきの資質か、成長する過程での日常的、持続的な環境条件によって多くの部分が決まる。つまり、親から受け継ぐ文化資本を含め、家庭環境の及ぼす影響も大きい。

このような考え方を本田由紀氏は「ハイパーメリトクラシー」=超業績主義と呼ぶが、成功する学生とは勉強もできてかつ教養もあり、遊びもスポーツも得意なマルチ&ハイスペックな人間で、最初から下駄を履いて生きてきた人間が活躍しやすいのである。そういうハンデがまるで存在しないかのように、ハイパーメリトクラシーは、柔軟な能力をあらゆる局面において常に発揮することを要求し、さらに不断にそれを評価する。自分の「柔らかい」部分まで差し出し、それを活用して生きていかざるをえない過酷な時代がすでに到来している。

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