FrenchBloom.Net フランスをキーにグローバリゼーションとオルタナティブを考える

『ぐりとぐら』とフランス語

text by / category : 本・文学

子供に絵本を読み聞かせるときには、やはり自分が好きだった本を読んでやりたいと思う。そんなとき、もはや古典中の古典とも言えるのが、『ぐりとぐら』だ。1963年の初版以来、10カ国語に翻訳され、世界中で読み継がれている。知っている人も多いと思うが、話はごく単純。野ねずみのぐりとぐらが、森を散歩していると巨大な卵を見つけ、大きすぎて運べないので、その場で調理してカステラを作り、森の動物たちに振る舞う、というもの。しかし、何度読んでも、「どうなるんだろう?」という子供の期待感を呼び起こす名作である。

ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)もともとは、1963年に福音館書店の雑誌『母の友』(現在も刊行中。脱原発記事など、硬派で良心的な内容は読み応えがある)に掲載された「たまご」という作品が基になっており、そのときは「グリとグラ」と、カタカナ表記だった。このグリとグラという名前、作者の中川李枝子(余談だが、『となりのトトロ』の冒頭を飾る名曲『さんぽ』の作詞家でもある!)によると、じつはフランス語なのだそうだ。

彼女が学生時代にフランス語の先生から借りた Pierre Probst の絵本『Pouf et Noiraud』シリーズで、主人公の猫たちの前に現れた野ねずみたちが、「ぐりっぐるぐら、ぐりっぐるぐら」と歌う場面があり、その音が気に入って採用したとのこと(『ぼくらのなまえはぐりとぐら』収録のインタビュー参照)。しかし、編集部が確認したところ、当該の歌はどこにも見当たらない。つまり、中川さんの勘違いである可能性が濃厚らしい。 グリとグラの読み方は、「喉の奥で鳴らすような R の発音」と中川さんも言うように、それぞれ r の発音を想定している。ということは Gri, Gra という感じだろうか。

しかし、これだとフランス人の耳には gris, gras と聞こえてしまうだろう。「灰色で、よく太った野ねずみ」でも、別におかしくはないが、食べられてしまいそうだ。ちなみに、フランス語訳では Gouri と Goura と表記されている(Circonflexe社、1990年、現在絶版)。日本では国民的人気作とも言えるこの絵本が、じつはフランス語の響きを隠しているというのは、フランス語教員にとってはちょっと嬉しい話である。 先に引用した本には、フランス人図書館員による『ぐりとぐら』論も載っていて、二人が森のなかで出会った巨大な卵をどうするかと思案し、結局その場でカステラ作りを始める決心をするまでの間、しばらく森が背景から消える、という鋭い指摘がなされている。視線が卵に注がれ、他のものは見えなくなる。日本絵画ではおなじみの焦点化の技法だが、この絵本もそうした伝統を自然と受け継いでいる。

しかし、なぜカステラなのか。作者曰く、『ちびくろサンボ』のホットケーキの向こうを張った、とのこと。カステラは、日本では「舶来」のお菓子の代表。アメリカ人にとっては日常そのものの「ママのホットケーキ」(枚数の多さだけがサンボにとっては特別だった)ではなく、ぐりとぐらは、特別なおやつを作ってみんなに振る舞う。そんな贅沢な幸福感が、この「道に落ちていた巨大な卵」事件の結末にはある。カステラは、残念ながら、今ではそれほど贅沢品ではなくなってしまったようだが、パエリヤ鍋かと見まがうほどの大きなフライパンで作るカステラの幸福感は、今でも子供たちはちゃんと感じ取っているようだ。それが伝わる限り、この絵本は今後も読み継がれていくだろう。



posted date: 2012/Nov/14 / category: 本・文学

1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。

back to pagetop