フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

今月の「あるうち読んどきヤ!」 :石牟礼道子 『食べごしらえ おままごと』 

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最近読んだ群ようこのエッセイによると、東京都心のマンションでは住民の出す生ゴミの量が激減しているそうだ。上手に処理しているから?いえいえ、家で料理をすることを放棄し、食事はデパ地下で買うからなのだ。仕事で忙しいカップルだけではなく、定年退職後のゆとり世代もそうだとか。とうとうそこまで来ましたか、と嘆息してしまう。

食べごしらえおままごと (中公文庫)最近の「普通の家」の食事の実態を知らしめた本、『家族の勝手でしょ!』(※)に掲載された、その日のママの都合と家族のメンバーの腹具合を優先させた結果としてのさムーい食卓風景の写真には十分戦慄させられたけれど、見る人によっては当たり前で、別に驚くことも何ともないらしい。むしろ「上から目線で不愉快」とこの本を批判する声も少なくないそうだ。

食べる、ということがこれほど多様を極めたことはなかったのではないだろうか。コンビニのジャンクフードから贅を尽くした一皿、オーガニックにマクロビにチンするだけの中食と、あなたの都合とあくなき欲望に合わせて食べものがあちこちでおいでおいでをする。しかし、そんな多種多様な当世の食には共通点があるように思う。どれも消費される物だけでしかない。食べるひとのためだけに奉仕してオシマイ。どんなに技や人手がかかったものでも、口に入れてしまえば、その背景は消えてなくなる。人の欲を充たすことだけに存在する、孤立した存在。こぎれい、おしゃれな見かけの裏で、そんな食の風潮がとどまることなく進行しているのが今なのだと思う。

家族の勝手でしょ!: 写真274枚で見る食卓の喜劇 (新潮文庫)今回取り上げる本が懐かしく物語るのは、人が積極的に立ち働かなければ腹に入れるものが何もまかなえなかったころの食の風景だ。これぞ天然自然食、昔に帰れなんておいそれとは言えないきびしい生活がある。しかし、小麦もあんも味噌も土を耕すところから作るしかない環境で幼い日々を過ごした著者が語る食べものには、「私」を超えた人々、事象とのつながりがある。甘い甘いあんこ餅にも、田植えの手伝いにきた人をもてなす大皿一杯の煮染にも、食べごしらえする人と家の暮らし、食材を育む四季の移ろいが見えてくる。そんなあれこれをもろもろをひっくるめていただくのである。「美食」では語れない味の風景だ。

前書きでいみじくも著者が言うように、食べることとは、猫が青草を噛んで戻すときのように、「憂愁が伴う」ものだと思う。生きるためには腹に物を入れなければならない。小ぎれいなものではない。それでも著者が語る食の思い出にうたれるのは、食べることに呑み込まれてしまわず、食べものを慈しんで日々を生きる人の様が描かれているからかもしれない。著者が綴る小さな玻璃の玉のような思い出の中に、歌の節のような九州のお国言葉がきらきらしている。(巻頭のリッバな料理の写真(著者のお手製)はあくまで飾り。メインディッシュは本文ですので、ひるまず味わってみてください。)

※『家族の勝手でしょ!』は最近新潮文庫の仲間入りをしました。覗いてみるのも一興かと。

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GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。 門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。