フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

machine to think different -ジョブズとボードレール (1)

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スティーブ・ジョブズはかつてヒッピーで、幻覚剤の LSD を服用し、禅に傾倒し、インドを放浪した。グーグルの創業者、ラリー・ペイジは西海岸のサイケバンド、グレートフル・デッドの大ファンだった。これは今や誰もが引用する、現在と1968年を結びつける重要な証言となっている。ジョブズやペイジに象徴されるシリコンバレー精神は、こうした60年代のカウンターカルチャーをひとつのルーツにしている。

梅田望夫によれば、この精神を体現する企業の経営理念には LSD を服用した際に得られる感覚が大きく影響している。自己と世界が融解し、非現実的な知覚状態に陥る。道徳という基準やタブーの意識も取り除かれ、精神の歯止めがなくなる。この体験は「意識の拡大」と呼ばれ、そこにひとつの創造性の源泉が見出された。シリコンバレー精神をもとに起業し、経営するということは、LSD による意識の拡大によって得られた宇宙との一体感と、『ホールアースカタログ』の創刊号の表紙のように地球全体を俯瞰するようなホールアースな世界認識を基本理念に置くこと。そして、そのような神の視点から得られたビジョンを経営によって実現することに他ならない。 「私の人生において、LSD は最も大事な体験の一つでした」とジョブズは言った。ジョブズは LSD 体験の中に来るべきコンピュータのヴィジョンを天啓として見たのだろうか。

一方、無数のイメージが流麗に画面上に生起する iPad の CM を見たとき、私は真っ先にシャルル・ボードレールの『人工天国』を想起した。フランスの詩人、ボードレールは1968年のちょうど1世紀前、1867年に亡くなったが、19世紀はコンピュータどころか、機械といえば、原動機として熱機関が開発されたばかりで、蒸気機関車がようやく走り始めた時代だ。そんな時代にボードレールは麻薬のことを「思考する機械の一種 ‘une espèce de machine à penser’ 」と呼び、麻薬の作用を定式化した。

また「メロディーや、耳に入るハーモニーは、その逸楽的な官能的な性質を依然として保ちながらも、広大な数学の計算となって変形し、数は数を産み、諸君はその計算の局面局面なり新展開なりを、合点の行かぬほどの容易さと、計算者と同じくらいの素早さとで追っていける」と幻覚のパターンを「数と高速の計算」としてとらえたことは驚くべきことだ。

おそらくここでティモシー・リアリーを引っ張り出すのが筋だろう。リアリーは1960年代初期に行った LSD の実験から、人間が複数の精神を持ち、チャンネルを合わせるように、選択的にかつ適応的に起動させたり切ったりできると考えた。そして晩年にはコンピュータを新しい LSD に見立て、コンピュータで人間の脳を再プログラミングしようと試みた。ジョブスの伝記によると、ジョブズが入学するちょうど5年前、リード大学の学食でリアリーがあぐらをかいて ’Turn on, tune in, drop out’ と説いていったという。

もちろんこのような事実も興味深いのだが、まず、詳細な自己観察から描き出されたボードレールのハシッシュ(大麻樹脂)体験を通して、幻覚の本質を考えてみよう。もちろん、LSD の効果はハシッシュよりも著しいと言われているが、幻覚のパターンは共通している。そのパターンは、①素晴らしい喜劇的な知識に恵まれる、②著しい幻覚が起こり、五感のあいだの、異なった観念のあいだの、主観と客観のあいだの置換作用が起こる。③絶対幸福が出現する、と3段階に分けられる。

ここで注目したいのはめくるめく激しい幻覚が現れる第2段階である。幻覚は、見えるはずのないものが見えるというより、麻薬のケミカルな作用によって脳が暴走し、高速で情報処理をやってのけることで生じる。その作用は今では、脳内にはエンドルフィンと呼ばれる麻薬に良く似た物質が存在し、ドーパミンという情報伝達物質の流出を増大させるが、麻薬はその代役を果たして情報の過剰流出をもたらすと説明される。このとき五感の感度が冴え渡るように感じられ、ボードレールの詩「万物照応 correspondence 」にうたわれているような五感のあいだの照応関係、共感覚が芽生える。 「嗅覚も、視覚も、聴覚も、触覚も、等しくこの展開に参与する(…)。音響は色彩を帯び、色彩の中に一種の音楽が生まれたりする」。

ジョブズが LSD によって体験したという「麦畑がバッハを奏でる」というビジョンはこれに対応するものだろう。さらに異なった観念のあいだで置換が起こる。それは自動的な連想や取り違えによって起こり、観念が増殖する、観念が数を増やすと、同時に時間も増やし、時間の流れを加速させる。その結果人は驚くべき速度で生きているように、短い時間の中で数多くの人生を生きているように錯覚する。意識は感覚やイメージをもの凄い速度で置換し、増殖させるマシーンのようになる。その速度はイメージの多さを媒介としており、一定の時間内で認識されるイメージの数が増えることによって必然的にそれらを処理する速度が高まるように感じられるという関係である。これは数の増加による相対的な加速と言える。

一方ではこのあいだに流れた時間を認識するたびに、時間が延びていって、限界を広げ、それによって時間の流れがゆるやかになったように思える。そして流れ去った多くのイメージが今度は大きな空間の中に整然と配置されているように見える。処理速度の高まりによって多くの情報を処理した時間は、現実に流れた時間よりもはるかに長いように思える。1分しか経っていないのにそれが永遠のように感じる。つまりこちらでは相対的な減速が起こるのだ。また「記憶のパランプセスト(羊皮紙)」の挿話では、速度と多数性の体験と同時に本人の無意識の底に眠っていた記憶が調和のとれた形で一挙に目覚め、自分のものと認識されると書いている。人が死ぬ瞬間に見るという人生の走馬灯のようなものだろうか。

つまり麻薬によって普段は意識に上ってこない、忘れ去られた記憶が底から掻き出されるようによみがえる。 ボードレールは麻薬への志向性を「無限への志向性」と言い換えている。有限な存在がいかに無限でありえるのか、ひとつの生物的な個体や、ひとりの人間のアイデンティティという限界をいかに乗り越え、多元的な生を獲得するのか、という問いに、麻薬はひとつの解決を与える。無限と有限の矛盾を克服し、両者を媒介するのが、麻薬のもたらす速度である。それが介在することで有限な自己の「無限を一瞬にして味わいつくしたい」という欲望がかなえられる。これは資本主義が新らしさをフロンティアにして突き進む時代性とも関わっている。ティモシー・リアリーが LSD を洗脳の手段として考えたように、私たちは一生のあいだ、互いに相容れない多くの価値観や感覚をリセットしながら生きる時代に居合わせている。消費社会は新しいモノやコンテンツや体験を買わせるだけなく、生き方やライフスタイルを次々と刷新させることを私たちに強いている。多様な経験と移り変わりの速さに対する欲望はまさに麻薬的なのだ。(続く)

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