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Trois Notes de Musique  1955年、ハリウッド

text by / category : 演劇・バレエ

それぞれ違う色の音が重なりあって、思いがけない美しい響きになる。人の巡り会わせも同じこと。出会ったことでこれまでにない何かが生まれることがある。それがほんのつかの間の、終わったとたんにどこかに消えてしまうものだとしても。ダンスにまつわる現場でフランスとアメリカのユニークな才能が出会ったときに起こった、そんな忘れ難いマジック・モーメントを拾ってみたい。

フレッド・アステアは、相手役を探していた。『イースター・パレード』や『バンド・ワゴン』といった彼の代表作となった傑作ミュージカル映画を製作したMGMを離れ、20世紀フォックスが製作するミュージカル版『あしながおじさん』で新しいスタートを切ることになったのだ。フォックスはこれから売り出したい歌って踊れる新人を推したけれど、アステアは違う選択をする。MGMの専属スター、レスリー・キャロンだ。

キャロンは、アステアの好敵手、ジーン・ケリーがパリへの夢想とオマージュを自ら振付け歌い踊って世界中をうっとりさせたミュージカル映画『パリのアメリカ人』で、ケリーの相手役としてデビューした。アメリカ人ダンサーを母に持つショートカットのうら若きバレリーナは、キュートな笑顔と親しみやすさでフランスからやってきたスウィートハートとして人気を得ていた。デビューから2年後に主演した映画『リリー』の演技で、アカデミー賞にノミネートもされている。踊れるし、女優としてもいいものをもっている。キャロンはこの一作だけという条件で、特別に出演することになった。

デビュー当時は英語が全くダメ、アメリカで生活するようになってもまだ外国人ならではのアクセントが抜けないキャロンを起用するにあたり、原作から離れた新しいストーリーが用意された。匿名のアメリカ紳士からの援助を受け孤児院からアメリカのカレッジにやってきたフランス娘、ジュリーをめぐる物語。台詞にもフランス語が盛り込まれ、おのずとヨーロッパの香りが漂いだす。それならば、もっと鮮やかなフレンチ・タッチを持ち込もうじゃないか―そしてフランスのバレエダンサー/コリオグラファーのローラン・プティが登場する。

レスリー・キャロンはかつての師であるプティに連絡を取った。フランスでは、かつてプティが率いていたモダンなシャンゼリゼ・バレエ団に所属し、ティーンエイジャーながら主役も踊っていた。プライベートでパリを訪れていたジーン・ケリーがキャロンを「発見」したのも、このバレエ団の公演だった。

当時、ローラン・プティはバレエというジャンルの壁を軽やかにジャンプし、戦後フランスが発信した粋でフレッシュな文化の真ん前に陣取る存在だった。世界大戦前にディアギレフとその一団が打ち上げた前衛の閃光は消え、古くさく女々しい舞台上の夢物語と見られていたバレエに、プティは街角の活気とひりひりとしたリアリティを持ち込み、大人の男女の関係を洗練された動きと大胆に絡み合う身体で表現して観客を圧倒した。後に実生活でもパートナーとなるジジ・ジャンメールがヒロインを踊った『カルメン』は、センセーションだった。少年のようなショートカット、コルセットしか身に付けていないかに見える衣装できれいな足をむき出しにした刺激的なカルメンの姿もインパクトがあったが、どこにでもいるような安い関係の男と女の愛憎が街場の雰囲気とともに見事に美しいバレエに昇華したことに世間はうなった。アメリカ公演ではセレブリティが劇場を埋め、次にプティがどんな舞台をつくるか世界が興味津々としていた。

まだ31才のそんな若きカリスマにもアイドルはいた。子供の頃、空腹をがまんし昼のサンドイッチ代にともらった小銭を握りしめ足しげく通った映画館で見たハリウッド映画。とりわけミュージカル映画がお気に入りで、銀幕の中でジンジャー・ロジャースと踊るアステアは「神様」だった。パリ・オペラ座バレエ学校で厳格なクラシック・バレエを習う身ながら、アステアの踊る姿に魅せられ真似て踊ってさえいた。そんな大事な人からのメッセージを、キャロンはプティに告げたのだった。『彼があなたに会いたがっているわよ!』『まさか、そんなことが!』

アステアとの対面を果たしたプティが驚いたのは、その努力と献身ぶりだった。撮影開始後ほどなくして不治の病で最愛の妻を亡くし出演辞退も考えたが、悲しみを振り払うかのように現場に戻ってきていた。そんなひどい状態にもかかわらず、50才を過ぎても相変わらずの見事な踊りっぷりにさらに磨きをかけようと練習にはげみ、プティに意見を求めさえするのだった。プティは回想している。

「『私なんかなんのお役にも立てないでしょうに!』と言うと、彼はすかさず『そんなことはありませんよ!新しい血もほんの少しなら害にはならないでしょう。』と言い返したのだ。」

プティは、映画のためにキャロンがメインで踊るバレエの場面を振付け、彼らしいカラフルで幻想的なシーンを演出した。が、明確なクレジットはないものの彼が手がけたのではないかと思わせる、アステアとキャロンが二人だけで踊るシークエンスがある。キャロンが演じる主人公ジュリーが、まだ見ぬ「あしながおじさん」ってどんな人、とあれこれ思い描く「白日夢」の場面。絵本に描かれた街を筆のタッチもそのままに立体化したような夢の街角に、アステア演じるあしながおじさん、ジャービス・ペンドルトン・ジュニアは、燕尾服を着たジュリーの守護天使として登場する。

このシークエンスが光るのは、キャロンとアステアというダンサーとしては異質な二人が違ったまま輝く場になっているからだ。キャロンは、ほんの小さい頃からみっちり仕込まれた正統派のバレエダンサーだ。しかし、映画ではその才能を披露できないままでいた。最もダンスの見せ場があったデビュー作『パリのアメリカ人』でも、あくまで「トウシューズを履いたジーン・ケリーの相手役」でしかなかった。メインは主役スターのダンスであって、その一部としてスムースに動き華を添えればいい。そもそもハリウッドはバレエダンサーを必要としていない。踊ることは彼女にとってアイデンティティそのものであるのに。舞台で観客を魅了したバレエダンサーとしての彼女の一面は、ひっそり打ち捨てられていた。

踊りこなせないダンスなんてないんじゃないかと思われるアステアにも、まだなし得ていないものがあった。バレエとのコラボレーションだ。ジンジャー・ロジャースとのコンビ時代にパリで活躍するロシア人バレエダンサーの役を演じたことはあるが、バレエは踊らなかったし、トウシューズを履いたダンサーと踊るシーンもいつものアステア・スタイルのダンスで押し通し、相手もそれに合わせた。その後シド・チャリシーのようなきちんとバレエの鍛錬を積んだダンサーと組んでいるが、相手のバレエの素養を活かすダンスは踊っていない。自分がなじんできたものと全く違う表現で構成されたダンスをそのまま取り込み、スムースに渡り合うことはやさしくなかったようだ。

ダンサーとして全く違う「言語」を話すアステアとキャロンをどう踊らせるのか―このシークエンスでは、相手の言葉にスイッチせず自分のダンスの「言語」で気持よく会話させることが試みられている。

具体的に見てみよう。ショートカットにカプリパンツとボーイッシュなスタイルでそぞろ歩くジュリーの気まぐれに、ジャーヴィスは付き合ってやる。守護天使だからか庇護する相手からは見えず、相手とそっくり同じ動きをしてみせたかと思うと逆に相手を自在に動かすことができるというお約束になっているので、コミカルなしぐさを二人がついユニゾンしてしまうという洒落た場面もある。が、ジュリーの願いをおじさんが叶えて、自在にポアントで動けるようにしてやるところからこのシークエンスは動き出す。

つま先で立って踊るというバレエ特有の、しかしキャロンにとってはとても自然なスタイルで、彼女は水を得た魚のように活き活きと踊る。素早い足さばきに滑らかなターン、そしてつま先まですっくと伸びた立ち姿(ドレスでなくカプリパンツであることが効いている)は清々しく、繊細で優美だ。バレエにしかできない美しさでもある。

そんなキャロンを相手に、ボタンホールに花を挿したいつものジェントルマン・スタイルのアステアは、いつものアステアのダンスを踊る。キャロンをリフトしたり回転を支えるといったような男性バレエダンサーのまねごとはなしだ。そもそも守護天使だからキャロンの手を取りリードすることはできない。少し距離を取りつつもパートナーを包み込むかのような彼にしかできない優雅な身のこなしでキャロンと相対する姿は、ナチュラルかつチャーミングだ。

スタイルは違っているけれども、二人が息をあわせて踊っているだけで楽しい―プティがこのシークエンスで目指したのはそんな境地だったのではないか。それはアステアがジンジャー・ロジャースと踊っていたときに映画に横溢していた気分でもある。ロジャースとのコンビ解消後、アステアはもっと「上手」なパートナーとシリアスに踊り、ミュージカル映画の歴史に残る名場面も作ってはいる。しかし、ロジャースとのダンスが醸し出していた幸せな気分をつくり出すことはそうはできなかったように思う。

芸術性にちらり色目を使ったり、互いのダンサーとしての技量をぶつけ合ったり、相手を自分のペースに巻き込み圧倒するのではなく、ただ二人並んで無心に踊っている。それだけのことなのにを見ているだけであんなに楽しい気持になる―子供の頃に映画館の暗闇で味わったあの多幸感を、プティはスタイルの異なるアステアとキャロンが自然に動け、相手の言葉に耳を傾けながら気持よく踊れるコリオグラフィーを用意することで再現しようとしたのではないか。バレエの世界の人間でありつつもハリウッド映画のダンスの素晴らしさに惚れ込んでもいるプティだからできたことであり、アステアへの彼なりのオマージュでもあった。

青でない色もたくさん使った、筆跡が見えるようなタッチの天上を思わせる背景だけを背にして繰り広げられた二人のダンスは、派手な見せ場ではないけれどミュージカル映画の忘れ難い一場面となった。

この映画の後、三人の人生が再び交差することはなかった。アステアはオードリー・ヘップバーンら新しい才能とミュージカル映画を作りつつも、ダンスシューズを履かない俳優としてのキャリアをつみ重ねていった。プティはあと数本ハリウッド映画に関わったもののフランスに戻り、純粋なバレエだけにとどまらず、歌も演技もこなせる奥方ジジと組んでショービジネスの世界も視野にいれた誰にもまねできない舞台を作った。キャロンは、女優として本格的に歩むことを選ぶ。ダンスとは無縁のシリアスな役の演技が評価され、映画賞でトロフィーを授与されるまでになった。

このたった一度の顔合わせで生まれ、フィルムに収められた5分にみたない三人の個性のきらめきは、YouTubeの小さな画面の中でも見る人を幸せにしてくれる。

参照:『ローラン・プティ ダンスの魔術師』(新書館)

例の場面を見てみたい方はこちらでどうぞ。音楽はアルフレッド・ニューマン。

https://youtu.be/1sEzoTRhPcc

世界をあっといわせたプティの『カルメン』はこんな感じ。ホセとカルメンのパ・ド・ドゥを、パリ・オペラ座のエトワール、ニコラ・ル・リッシュとエレオノーラ・アバニャートで。(二人が登場するまでしばらく音楽のみの場面が続きますがご容赦を。)

https://youtu.be/s1qu_XQr8cc



posted date: 2018/Mar/17 / category: 演劇・バレエ

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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