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Un homme qui a la baraka ~またもDSKは逃げ切ってしまうのか?

text by / category : 政治・経済

フランスのニュースを検索サイトで眺めていたら、ゴシップ欄にドミニク・ストロス=カーン(以下長いのでDSKとする)の名前を見つけた。数年前カンヌ映画祭にエスコートした、20才年下のマスコミ関係の女性と結婚したと写真つきで報じられていた。驚きだった。 あんなことがあったのに、DSKは社会的に抹殺されるどころか、その動向がゴシップとして報じられているとは。

あんなこと、とは2011年、ニューヨークの高級ホテルの一室での出来事だ。ギニア出身のメイドが、DSKに襲われオーラルセックスを強要されたと警察に訴えたのだ。パリ行きの機内でDSKは逮捕、そのまま数ヶ月間軟禁された。事件そのもののは立証できるものの次第に明らかになった被害者のクリーンといえない身辺事情からその供述に疑義が生じ、最終的に検察は起訴を取り下げたが、DSKはIMF専務理事を辞任。最有力候補と目されていた2012年の大統領選挙への出馬も見送った。(事件後フランスでも女性ジャーナリストからDSKに対し暴行未遂の訴えがなされたが、起訴には至らなかった。ちなみにニューヨークの事件の女性には、DSK側から多額の示談金が支払われている。)

それだけで終わらなかった。IMF専務理事の職にあった2008年から2011年にヨーロッパのみならずワシントンでも開かれた「セックス・パーティ」に絡み、DSKは売春斡旋の容疑で複数の売春組織の関係者とともに起訴され、2015年には法廷に立った。売春組織の捜査の過程で女達を取り調べたときにDSKの名前が何度も出てきたことが、ことの発端だった。フランスでは売春は違法ではない。ただ、売春をさせて利益を得たり、わいろの一種として女性からの性的接待を受けることは法に触れる。売春組織の人間が手配したパーティの参加者が売春婦であることを承知の上で「贈り物」としてタダで楽しんだこと、また他人名義で借りていたパリのアパートを売春組織が絡んだパーティの会場に提供したことでDSKは起訴された。今回起訴された組織側の人物の「彼は何も知らなかった」という証言や、この件に絡み民事訴訟を起こしていた女性達の相次ぐ訴えの取下げもあり、DSKへの求刑は見送られた。

これだけでも、かなりなことである。しかし、フランスでは、DSKは今もポジティブなニュースのトピックスであって、オランド政権下の世論調査では相当数の人が「オランド大統領より上手く対処ができる人物」としてDSKの名を口にするのである。いったいどうしてそんなことになる?ちょっと調べてみたがなるほど、という答えは見いだせなかった。ただ、フランスならではの理由はあるようだ。

*政治家のプライベートに口を挟まないという不文律の存在
アルコール中毒の政治家がいたとしても、酒浸りは彼のプライベートであって、問題にはならない。ミッテラン大統領の隠し子問題しかりだ。オランド大統領の女優との密会スクープは「例外」らしい。大統領にはならなかったものの、DSKクラスの大物政治家にはEt, alors?とマスコミに言い返すことが許されている。

*「色好み」はマイナスにならない。
たくさんの女性を口説ける人はむしろ一目置かれる。口説き口説かれがお国の文学の美味しいところを作っている文化的背景からも、わからないではない。一方で、口説かれる女性の方は、口説く側と対等の立場に立てているとはいいがたい。(女性閣僚が何人もいる今のフランスの状況からは考えにくいが、人々の生活に深くかかわってきたカソリックの影響もあってか、女性の権利が認められるようになったのは1940年代に入ってからだ。第2次世界大戦前は、女性は自分名義の銀行口座すら持てなかった)。

*ニューヨークの件は政敵などにしてやられたと信じる人が少なくない。

また、2011年の事件が起こる前から、世間はうすうす感じていた。DSKは女性絡みでまた何かやらかすかもしれないと。警察沙汰ではないが、事件はすでに起きていた。例えば、陳謝を余儀なくされた2008年のIMFの部下とのスキャンダル(既婚者だった相手の女性は「断るも地獄、受け入れるも地獄だった」と語っている)。そこまでゆかなくとも、女性議員やマスコミ関係者、女優達がDSKの洗練とはほど遠い口説きのしつこさ、手荒さをほのめかしていた。(ある有力新聞社は、取材で女性記者がDSKと二人きりとなることを禁じていたそうだ)。考え方が違うニューヨークだから「事件」になった、とフランスでは見なされていたのではないか。

こんな好き放題する人物がどうしてでてきたのか。DSKの人生を紐解いてみよう。祖父母の代まで遡る。父方の祖母は、夫が若くして病死した後すぐに従兄と再婚している(夫が存命のころから「関係」があったらしい)。「親戚のお兄ちゃん」が突然継父となり家に入ってきたことは、DSKの父にショックを与えた。後年改名し継父の姓「カーン」を取ってしまった程だ。そんなDSKの父も、弁護士として成功した後はおおっぴらな女遊びが止められず、DSKの母を何度も泣かせた。

DSKが最初の結婚をしたのは18才。リセ在学中の身で、相手は2つ年上の女性。初恋の相手だった。当初彼女はDSKのことを何とも思っていなかったが、熱意に押し切られる形で交際がスタートしたそうだ。大学での教職を経て経済のエキスパートとして社会党で地位を固めつつあった頃、DSKは年下のPR関係の会社の女性重役と出会って不倫、20年近く連れ添った妻と離婚し、家族ぐるみのつきあいだったそれまでの友人関係を捨てて再婚する。2度目の妻の助言で、DSKはぶ厚いレンズの眼鏡をやめてコンタクトにし、もじゃもじゃあご髭を落とし、ぱりっとした着こなしをするようになる。一般に知られているDSKのイメージはこの頃形成された。

政治家として出世し、より優秀な「助言者」が必要となってきたときに、テレビの美人キャスター、アンヌ・サンクレール(アメリカ生まれなので正式な名前はアン・シンクレア)の番組にゲストとして出演する。DSKは毎日何度も電話をかけてサンクレールを口説き落とし、W不倫の後結婚した。ゴルバチョフからマドンナまで話題の人に鋭く斬り込むインタビュー番組であこがれの知的女性として人気を博し、DSKよりはるかに有名だったサンクレールは、大変なお金持ちでもあった。ピカソをはじめフランス現代美術の画家達の後ろ盾として知られた大画商の孫娘で、オークションに出せば天井しらずの値がつく絵画も多数保有している。(ニューヨークの事件で当局より要求された保釈金600万ドルのうち100万ドルは、キャッシュで支払われた。)

DSKとの結婚後サンクレールのキャリアと名声はピークに達したが、出会った頃はまだ世間的には無名な政治家に過ぎなかった夫が大臣のポストに就くと、公平性に差し障りが出てくると番組を降り、マスコミでのキャリアを封印した。サンクレールは、DSKに理想の大統領を見いだしていた―有能なばかりでなく、二人が共有するユダヤ人としてのルーツを大事にするところも(DSKは父が捨てたユダヤ系の姓「カーン」をあえて復活させている)。DSKを大統領にすることが、サンクレールの新たなチャレンジとなった。潤沢な資金をつぎ込んで、DSKを次期大統領選候補にふさわしい人物として大々的に売り込み、メディアの力を駆使してイメージアップを計った。「アンヌの政治家の夫」は、あれよあれよと言う間にフランスの未来を託せる男と目されるようになったのだ。

カネと、名声と、権力を手にしたDSKは無敵となった。目にとまった女性におおっぴらに声をかけ、アドレスを聞き出してはしつこくメールし、ホテルに誘う姿がたびたび目撃されている。そんな「今様ミノタウルス」なDSKのふるまいを、回りは「そういう人」なのだからと許容するばかりか、「花もディナーも省略かね!」とちゃかしたりもしていた。当時大統領だったサルコジがDSKをIMF専務理事のポストにつけたのは、対立候補No.1であるDSKが勤務先のワシントンで何かしでかすことを期待したからではないかという穿った説もあるが、一蹴しがたいものがある。

ニューヨークでの事件以降、DSKもアンヌ・サンクレールも一連のスキャンダルについて、実質的に無言をとおしている。サンクレールは事件発覚後「夫は潔白」と主張したが、DSKのためにそれ以上前に出ることはなく、二人は1年後にひっそり別居、翌年離婚した。しかし、その沈黙から読み取れることもある。

2015年の公判では、DSK本人の前で、ニューヨークの事件前の彼のプライベートでの行状が明らかにされた。例えば売春組織の人間とのメールのやりとり。DSKはパーティに参加する女性達のことを「機器」と呼んだ。秘密保持のための暗号なのだろうけれど、この言葉をチョイスしたことに深読みしてしまう。法廷で、パーティに参加した女性達は、DSKから痛みを伴う行為を何度も強要されたと涙ながらに証言した。泣き叫んでも薄笑いを浮かべるだけで止めなかったと。これに対し、DSKは証言の最中も無関心を貫き通し、「普通の男よりベッドでのマナーが手荒いだけ」と述べるにとどまった。戦略上のふるまいなのだろうが、その言葉のなさ加減にかえってDSKという人を見てしまう。

アン・サンクレールは離婚後もDSKの行状について「知らなかった」の一点張りだ。例の事件を遠い昔に起こった「地震」「天災」にたとえ、私の中ではすでに終わったことと口を閉ざしている。しかし、これは通らない話だ。色好みを承知で結婚し(「あなたのそういうところを私が変えてみせる」とたんかを切ったとも言われている)、2008年のスキャンダルの際も「政治家ならば女性を口説ける器量も必要。夫と私がお互いを魅力的だと思える関係にあるのなら、問題ない」とコメントした人だ。DSKの「行き過ぎ」た行為を問題視する人間は、長年の親友であっても容赦なく切り捨てもした。DSKの成功にそこまで懸けてきた彼女が、妻としてだけでなく選挙参謀として、DSKにつきまとうよからぬ噂を無視できただろうか。沈黙を貫いているのは、彼女や家族を守るためだけでなく、知ってしまったことがいかに重いことなのかをわかっているからではないか―そう勘ぐりたくなる。

オランド元大統領のEX、ヴァレリー・トリールヴァイレールは別離後に暴露本を出版、世間の顰蹙を買った。大事にされなかったと恨んで「私は苦しんだ」と大文字でわめき相手を困らせるなんて、あれだけの裏切りがあっても恨み言ひとつ言わないアンヌ・サンクレールの立派な態度を見習いなさい―。しかし、もしサンクレールが詳細まで語らずとも口を開き、夫がしたこととそれに対する彼女自身の思いを語っていたらどうだったろう?女性キャスターとして駆け出しのころから経験してきたプレッシャーやハラスメントについては語ってきた人だ。DSKの相手とはまた違った形で傷ついたことを公にしていたら、DSKへの、そしてDSKが体現するものへの風向きは少しは変わっていたのではないか?

DSKは、目的に応じて異なるグループの女性をターゲットに選んでいたと囁かれている。征服できなくとも駆け引きが楽しめる相手として自分と同じクラスの女性達を追いかけ回す一方で、自分の地位や権力にモノを言わせ確実に相手をさせることができる女性達を確保していた。例えば、自分の政党である社会党の関係者やその支援者。DSKに屈したことを公表すれば党の重要人物であるDSKのイメージを傷つけるだけでなく、社会党全体に迷惑をかけると口をつぐんだ女性達がいると言われている。そして、カネで解決できる、あるいはカネを払う必要もないと感じている「口説き」の対象にもならない女性達。カネを払ったのだから何をしてもいい、あるいは絶対に歯向ってこないと確信している相手。

フランスでは、ニューヨークの事件の何年も前から、性犯罪の被害者を支援する複数の弁護士のもとにDSK絡みの相談が何件も寄せられていたそうだ。奇妙なことに、被害者の立場も、起こったことも、ニューヨークでの出来事とそっくり同じだった。相談はしたものの、彼女達は結局訴えることをあきらめている。世間の好奇にさらされ、DSKのような立派な人物を引き摺り下ろそうとするカネ目当ての嘘つきと叩かれるプレッシャーを考えると、できなかったのだ。こうした発せられなかったいくつもの声がフランスには潜んでいると見られている。

DSKは11才の時住んでいたモロッコで大地震に見舞われた。家は崩壊したが、たまたま出かけていたDSKと家族は下敷きにならずにすんだ。この出来事から、DSKは自分にはツキ(Baraka)があると信じていると言われている。実は女性の絡まない大きなスキャンダルも2回経験しているのだが、無傷ですり抜けてきた。

今のDSKにはIMF専務理事時代に楽しんだ影響力や世間からの期待はもはやなく、経済人として有能かどうかも怪しまれている(立ち上げた会社は倒産、ビジネスパートナーは自殺に追い込まれた)。しかし、もろもろが表沙汰になった後も、DSKは「そういうキャラ」とみなされ、許されてしまっている。レストランで4度目の妻となった女性が席を中座した途端に、DSKにアドレスを手渡す女達もいる。俺はまだまだ大丈夫、やっぱりツキがあるという気持は今も変わっていないのではないか。DSKは逃げ切ってしまうのか。せめて、DSKが極端な例を示した男と女の関係について、疑問符を投げかけてもよいのではないのか。このままでよしとするのなら何も変わらないと思うのだが、どうだろうか。

Photo By Guillaume Paumier – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,



posted date: 2018/Feb/21 / category: 政治・経済

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大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
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