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クロ・ペルガグ、ヌーラ・ミント・セイマリ、そしてワークショップの意義

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今年の音楽生活で最も印象深かったのは、8月末に富山県の南砺市で行われた、スキヤキミーツザワールドに参加したことだ。お目当てはカナダのケベックからやってきたクロペルガグである。耳の早い Futsugopon さんがすでに去年のベストアルバムに挙げていた。スキヤキは長らくスティールパンのイベントだと思い込んでいたが、知らないうちに国内随一のワールドミュージックのサマフェスに成長していたのだった。

クロ・ペルガグ、カナダのケベック生まれの27歳。「ペルガグ」という変な名前は本名の Pelletier-Gagnon を縮めた形のようだ(@futsugopon さんによると、Pelletier と Gagnon という名前はケベックでベスト10に入るくらいのよくある名前だそうだ)。クロ・ペルガグはコンサートの数日前に南砺入りし、民家で生活しながら、日本の田園生活も満喫していたようである。すでにみんなからクロちゃんと呼ばれ、コインランドリーでの目撃情報もあったようだ。このあたりは一面に広がる田んぼの中に集落が点在していて、散居村と呼ばれている。私の祖母の家が隣の砺波市にあり、小さいころ夏休みはまるごと祖母の家で過ごしていた。まさに「となりのトトロ」の世界で、青い稲の絨毯を渡って来る風がとても心地よかった。

白いマスクをつけ、ゆったりした赤いワンピース姿でステージに現れたクロ・ペルガグは、ガニ股で踊り始め、初めは違和感を感じずにはいられなかった。しかし何曲か聴いていくうちに、きれいにまとまっているが、耳を素通りしてしまう最近のフランス語系のアーティストとは違い、奇天烈な印象にも増して独特なメロディが粘っこく耳に残る。前もってアルバムを聞き込む暇がなかったのだが、裏声を使った抑揚の豊かなメロディがフックとなって、あとでアルバムを通して聴きながらステージで聴いた曲を思い出すことができた。

私が特に興味を持ったのは、彼女がキング・クリムゾンやフランク・ザッパの影響を受けたということだった。確かにストリングスやハモンドを使ったプログレ風の展開はあるが、基本的にはピアノとギターの弾き語りである。プログレポップというカテゴリーで考えるなら、フロントマンの不倫問題で紛糾した「ゲスの極み乙女。」を引き合いに出してもそんなに外れていない気がする。ビヨークっぽいという評もあったが、私にはむしろケイト・ブッシュを思わせた。ステージを所狭しと動き回る彼女のそれは、計算され、様式化されたものではなく、奔放で、彼女の感性のおもくままだ。しかも自分のやっていることをはにかんでいる感じもあって、それがフランス発とは違う、ケベックならではの素朴さなのだろうか。とはいえ、フランス語圏の一押しのアーティストであることには変わりはなく、現在も私のヘビロテの1枚となっている。

クロ・ペルガクのライブの前に、金沢大学の粕谷さん(クロ・ペルガクのアルバムの対訳も担当)の司会で、モーリタニアの女性シンガー、ヌーラ・ミント・セイマリ Noura Mint Seymali とそのバンドの方々に実際に演奏してもらいながら、曲の解説を聞くというワークショップに参加した。モーリタニアという国をご存じだろうか。モーリタニアはアフリカの北西部に位置するイスラム共和国で、20世紀初めにフランスによって植民地化された。民族の構成比はベルベル人とアラブ人の混血であるムーア人30%、黒人30%、両者の混血が40%で(社会の上層部はムーア人が占める)、これはアラブ文化とブラック・アフリカ文化とベルベル文化がぶつかり合う場所であることを意味する。モーリタニアで話されるアラビア語はハッサーニーヤと呼ばれ、ベルベル語やフランス語の影響を受けているが、商業関係者や政府の役人は実務言語としてフランス語を話し、もちろんワークショップでは、アメリカ人のドラマー以外、メンバーはみなフランス語を話していた。

ヌーラは、夫であるギタリストと同郷のベーシスト、そしてアメリカ人ドラマーを加えて、バンドを結成した。聴く者の魂を震わせるようなヌーラの圧倒的なヴォーカルもさることながら、夫君のエル・ジェイシュ・チガーリのギターが面白かった。ジミ・ヘンドリックスやマーク・ノップラー(ダイア・ストレイツ)の影響を受け、伝統的な弦楽器ティディユートからエレキギターに持ち替えたそうだ。ジミヘンからは歪んだサイケな音、ノップラーの影響はフィンガーピッキング奏法にあるのだろう。もっとも彼らにとってはピックを使わない方が自然なのだろう。ヨーロッパで評されたという Moorish Psychedelic Rock (ムーア人のサイケデリック・ロック)という表現が的を得ている。ヌーラの唱法に合わせて、ギターも四分音(半音の半音)対応に改造されていた(写真下)。ボディ側のフレットを外して、ヘッド側の各フレットのあいだに埋め込み、四分音が出せるようになっていて、彼女のエモーショナルな声と絶妙に絡みあっていた。

さらに興味深かったのは、彼らが「グリオ」の家系から出ているということだ。グリオとは西アフリカの世襲制の伝統伝達者である。楽器の演奏をするだけでなく、歴史上の英雄、遠方の情報、各家の系譜などをメロディに乗せて伝える。音楽が共同体の維持と強化に大きな役割を果たしているのだ。文字のなかった時代の吟遊詩人のように、彼らの情報伝達者としての役割は非常に大きかった。セネガル出身のユッスーンドゥールもグリオの家系である。

ところで、フランスはかつてアフリカの国々を植民地にしていて、音楽に関しても、その回路を活かして、アフリカのアーティストを紹介していた。80年代、サリフ・ケイタやキング・サニー・アデなど、パリやロンドン経由で届いてくるアフリカ系の音楽をよく聴いたものだ。バブル期の日本はそのような情報に貪欲で、その消費にも大きく貢献したのだろう。ジャック・アタリは、音楽が社会を先取りすると言ったが、80年代のワールドミュージックの隆盛は、近年のグローバリゼーションの著しい進展を予告していたのかもしれない。しかしそれはエキゾチックなものの消費という側面が大きかった。一方、新しい世代のアフリカのミュージシャンたちは伝統音楽と同時に、ジミヘンやダイア・ストレイツを聴いていて、さらに私たちと経験の時差もなくなり、音楽体験をほぼ共有する。ワークショップをしても、遠い国の話でありながら、話が通じ、グローバリゼーションの効果の最も顕著な現れとなっているのだろう。さらに日本においても、東京が文化伝達のハブになっていたのが、地方都市が直接アフリカとつながり、南砺市のような地方の田園都市がサマフェスの舞台になる。もはや欧米諸国や国際的な大都市を経由する必要がなくなっていることを実感した。

ワークショップという形で学びを組み込むのは面白い。フェスティバルには、タコス、カレー、ケバブなどの、エスニック系の世界各国料理の屋台が出ていて、それを目当てにやってくる家族連れも多く、そこからもワークショップへの人の流れができていた。夏休みも終わりかけの頃なので、ちょうど自由研究のテーマ探しにもなるではないか。コンサートは高校生以下は無料で、クロ・ペルガクのコンサートの前列には子供も多く、顎を落としてクロちゃんに魅入っていた子供もいた。

コンサートとは別に、無料のワークショップがオーガナイズされ、アーティストから直接話が聞ける場を準備する。コンサートは敷居が高いと思った人も気軽に参加できる。ほんの少しの好奇心と何かを学ぶ姿勢があれば十分だ。学校を出てしまえば学ぶ機会があまりない。企業が全面依存できるような永続的なものでなくなって、働き方が多様化し、それにともなってライフコースの単純なモデルが作れなくなった現在、いろんな機会を通して学ぶ場を作る必要が生じている。個人が自発的に知識や教養を備え、積極的に地域にかかわる態度が求められるのだが、音楽や音楽が演奏される場はまたそのような学びのとっかかりになる。どんな音楽も社会的な背景を持つし、とくにグローバル化が進展した時代においては、音楽はつねに国境を超え、異文化との接触の問題につながる。音楽は享楽性と結びつきつつ、音楽という出来事には批評性をはらませるポイントはたくさんあるのだから。

コンサートも音楽メディアが作り上げたイメージをなぞる確認になり、アーティストと観客のあいだで音楽という商品パッケージが交換されるだけで終わるのはつまらない。観客は決して受け身なわけではなく、機会があれば舞台の裏側や音楽の背景を知りたいと思っているし、アーティストの側もどんな人たちが自分の音楽に興味を持っているの知りたいのである。アーティストがステージから日常に降りてきて、歌や音楽でだけはなく、日常言語で接することも魅力的な体験だ。何よりもアーティストと直接会うことで受ける感染力は圧倒的で、知識や思考への強いモチベーションを生むだろう。またグリオの存在が示すように、共同体=コミュニティの維持と強化には音楽が奏でられる場が欠かせないのだ。



posted date: 2017/Dec/17 / category: 音楽
cyberbloom

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