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偉大なる女優、樹木希林を追悼する――「ジュリー!」から是枝裕和まで

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日本を代表する女優、樹木希林が亡くなった。全身がんに覆われていると告白してから5年、その日はいつ来てもおかしくなかったのだが、彼女ならばいつまでも生き永らえてくれるのではないか、と誰もが思っていたのではないか。 もちろん、奇跡は起きなかった。だが、残された彼女の言葉と作品は、永遠に私たちの元にある。

樹木希林という女優を多くの人々が認識したのは、紛れもなくテレビドラマ『寺内貫太郎一家』ではないだろうか。とはいえ、このドラマが放送されたのは1974年、私自身は幼かった為、茫漠とした記憶しか残っていない。しかしながら、西城秀樹と小林亜星の壮絶な乱闘シーンと共に、壁に貼られた沢田研二のポスターを見ながら「ジュリー!」と絶叫する老婆の姿は鮮烈なイメージとして刻み付けられたことは確かだ。あの老婆が実は30歳そこそこの女優であると聞き、驚かされた者は多かっただろう。

それにしても、あの『ジュリー!』という叫びは、ドラマを演出した久世光彦の趣味であったとしか思えない。事実、久世は沢田研二を演出することに拘り続けた人物だった(『悪魔のようなあいつ』[1975年]、『源氏物語』[1980年])。その久世に対し、『寺内貫太郎~』から数十年の時を経て、樹木が昔を振り返りながら、こう呼びかけたことがあった。「あなたは東大の美学なんて堅苦しいところを出たのに、私たちのところに来てくれたのね。」この「私たちのところ」というのが何を意味するのか、すぐには分からなかったが、いまではそれが「反体制」を意味するのだということがはっきりと分る。まさに彼女は「反体制」から出発した女優だった。

当時は悠木千帆と名乗っていたこの女優が、1960年代初頭に所属していた文学座の座員という安定した地位を棄て、アングラ演劇の母体の一つとなる「六月劇場」を津野海太郎、岸田森らと共に1966年に結成した張本人であるということ。そして、この劇団が、「自由劇場」、「発見の会」と合併することにより「演劇センター68」(後の劇団黒テント)が誕生するということ。このような、日本の現代演劇史の最も重要な局面を生き抜いて来たのが樹木希林であったということを知る人も、いまとなっては少なくなってしまったと思う。それは、樹木自身がその頃のことを語らず、常に「現在」を悠々と生きる女優であったことも一因であろう。

文学座脱退から50年。様々な紆余曲折を経て、樹木はまさに日本を代表する女優として、数々の映画を支える揺るぎない地位を確立していた。とりわけ2000年代以降の活躍は目覚しい。鈴木清順(『ピストルオペラ』[2001年])、中島哲也(『下妻物語』[2004年])、三池崇史(『IZO』[2004年])、根岸吉太郎(『サイドカーに犬』[2007年])、原田眞人(『わが母の記』[2012年]、『駆込み女と駆出し男』[2014年])など、監督たちは大御所、若手を問わず、樹木が自分の作品に出てくれることを望み、樹木もまた望まれればどんなチョイ役でも完璧に演じるということを繰り返した。

その中でも、最晩年における河瀬直美、是枝裕和とのコラボーレションこそは、近年の日本映画における最も重要な「事件の現場」であったと言えるのではないか。河瀬の『あん』(2015年)で樹木希林が演じた老婆は、まさに彼女が人間の奥底にあるものを徹底的にさらけ出したような名演であり、こうした人間の姿をさりげなく演じてしまう樹木という女優の底力を見せつけられたような思いがした。それにしても、樹木が面白いのは、河瀬に対して「こんな女性が日本から出てくるとは思わなかった」と最大限の賛辞を贈る一方で、「あの人は最初から勘違いしているから」と揶揄のような言葉も同時に浴びせるところである。それは、相手がどんな名声を得た人間であろうと、その人との付き合いは「瞬間」にしか存在しておらず、それこそが何よりも重大なのだ、ということなのだろうか。

そして、『歩いても、歩いても』(2008年)から『万引き家族』(2018年)までの6本の是枝作品において、樹木希林の姿を私たちが見ることが出来たことは何と幸福なことであったのかと思い返される。是枝作品での彼女の演技の素晴らしさについては既に FBN では書いているので繰り返さないが、いずれの作品においても、作品そのものを根底から支える土台のような役を彼女は悠々と演じている。私たちは樹木が画面に姿を現さない『万引き家族』、『海街diary』(2015年)、『海よりもまだ深く』(2016年)などというものを、想像することすら出来ないのではないだろうか。助演でありながらも主演に等しい存在感を放つ女優など、小津映画における杉村春子を別にすれば、樹木以外にこれまで存在しただろうか。

「実体」としての名女優は確かに逝ってしまった。だが、私たちは多くの映像と共に彼女の姿を見ることが出来る。伝説はまだ始まったばかりなのだ。

Top photo by 作者 Andriy Makukha (Amakuha) [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズより






posted date: 2018/Sep/18 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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