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ジャック・リヴェットは死なず!―不知火検校のパリ探訪2018(その1)―

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2018年3月中旬から下旬にかけて、久しぶりに仕事でフランスを訪れた。2月下旬にヨーロッパを襲った大寒波は既に勢力が衰えていたようだが、パリは思いのほか寒く、雪がちらつくリュクサンブール公園を歩くことになるとは思わなかった。そんな中、カルティエ・ラタンの映画館は相変わらずの活況を呈し、熱気に包まれていたように思う。

今回はこの初春のパリの映画館の状況をリポートしてみよう。

私が何よりも驚かされたのは、映画館Reflet Médicis(シャンポリオン街3番地)でのジャック・リヴェット回顧上映である。リヴェット作品のうち特に上映されることが少ない初期の3作品、Duelle(『デュエル』、1976)、Noroît(『ノロワ(北風)』、1976)、Merry-go-round(『メリー・ゴー・ラウンド』、1981)の3本が特集上映され、それ以外にもLe Pont du Nord(『北の橋』、1981)も通常上映されていた為、『セリーヌとジュリーは舟で行く』(1974)と『地に堕ちた愛』(1984)の間に挟まれた最も謎めいた10年間に作られた作品群が一気に上映されるという趣向になった。

特集上映初日の『デュエル』の上映終了後には、出演した女優エルミーヌ・カラグーズと、多くのリヴェット作品のプロデューサーであったステファヌ・チャルガディエフが舞台挨拶に参加するとの告知があり、それを見届けようと、パリ中のリヴェット信者が映画館に集結した。その数は30名ほどで、若い学生も数名は混じっていたが、多くは60歳代から70歳代だろう。だが、年齢というものを全く感じさせない筋金入りの映画狂(シネフィル)という雰囲気を醸し出していた。舞台挨拶では、リヴェットがいかに自由に映画を撮る人間であったかということをプロデューサーは強調し、集まった人もそれであるが故にリヴェットを敬愛するという感じであった。

笑ってしまったのは、誰かが「ゴダールの場合は…」と発言しそうになると、すかさず、« Ne parlons pas de Godard ! »「ゴダールについて話すのはやめよう!」という合いの手が入ったことだ。まさにここにいるのはリヴェットと共に映画を発見し、映画を愛した集団であり、ヌーヴェルヴァーグの党派性とはまた異なるセクトであるということが痛感された一瞬であった。それにしても、こういう人たちと混じってリヴェットを見るというのは何という幸福だろう。彼ら、彼女らはゲラゲラ笑いながらリヴェットを見るのだ。そこにあるのは日本での神格化、神秘家されたリヴェットのイメージとはほど遠いものであり、彼らにとって、リヴェットはもっとも自分たちに近い「映画狂いのお兄さん」だったのだろう。

その他、シネマテーク・フランセーズでは「ルイ・マル回顧上映」、「溝口健二回顧上映」の他、「古典作品の見直し」としてデ・シーカやフリッツ・ラングの作品が上映されていた。また、日本ではまずありえない企画だが、文学、音楽、映画の三つの分野を自在に行き来するマルチ・クリエーターF. J. Ossangの回顧上映も行われていた。ちょうど2017年のロカルノ映画祭に出品された6年ぶりの新作 « 9 doigts »がグランプリを受賞し、そのパリでの劇場公開に合わせた企画のようである。こういう映画が日本にまったく入ってこないのは不思議である。

さて、明日、パリを離れるという日に何を見ようか迷った末、私が向かった映画館はChampo(エコール街51番地)だった。常に最高のプログラムを組むことで知られるこの映画館で上映中なのは「ヴィム・ヴェンダース初期作品回顧上映」。夕食も済んだ火曜の午後9時20分に上映されたのは『アメリカの友人』(1977)。行ってみればこんな時間でも7割くらいの客の入りである。まことにパリの映画ファンとは時と場所を選ばずにやってくるものだ。ふと思い出してみれば、『アメリカの友人』を初めて見たのは26年前に滞在したニース。なぜかフランスに居ると見てしまう不思議な映画だが、40年前の作品なのに全く古びていないことにも驚かされた。1970年代のヴェンダースは本当に素晴らしいと痛感した一夜だった。

もちろん、フランスでも日本と同じように『トゥームレイダー』等のハリウッド大作が上映されており、それなりの収益を上げている。しかし、フランスではそのような上映形態とは全く異なる上映形態とそれを支える客層(その多くは極めて頻繁に劇場にやって来る)が確実に存在し、それがフランス文化の重要な一翼を担っているということを、今回改めて実感することが出来た。まさに、パリは今日もなお「映画の都」であった。

PHOTO By Raphael Van Sitteren – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, 



posted date: 2018/Apr/02 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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