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淡彩で描く芸術家の人生 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』

text by / category : 映画

実在の人物を描いた劇映画は、大なり小なりヒーロー、ヒロインの映画になる。映画のおもしろさは、ヒーロー、ヒロインの側へ観客をひきこめるかにかかっている。だからこそ、映画の作り手は前へ進むヒーロー、ヒロインの傍らにいて、その人生のアップダウンに半ば巻き込まれてもいる。

芸術家として名を為した後のロダンの人生についての映画を作るにあたり、ドワイヨン監督は逆にヒーローであるロダンから距離を置いた―画家とイーゼルの向うがわにいるモデルのような位置関係に。

映画そのものはバイオピクチャーの王道から外れてはいない。写真で目にした数々の代表作が完成してゆくプロセスが見られるなど興味をそそるエピソードがたくさん盛り込まれ、歴史に名を残したあの人この人がちりばめられてもいる。しかし、ロダンの人生をよりおもしろく見せ観客を高揚させるような積極的なしかけはない。ロダンのことを世間がどう思っているかすらも伝え聞き程度にしか明かされない(ロダンの作品を見た当時の人々の生なリアクションはほぼ排除されている)。演出を支えるオーダーメイドの映画音楽も控えめだ。耳につくのは窓の外から漏れ聞こえる鳥の声や生活音。映画全体が、ある種の静謐さに包まれている。

そして、観客に自然の光の存在をおおいに意識させるような画面作りが随所に見られる。同時代の印象派の画家達がおもわず筆を取りたくなるような光線の濃淡の中で、ロダンの人生は展開してゆく。スクリーンのこちら側にいる者は、のめり込むどころかそれこそ「ロダンの一生」という絵本を眺めているかのような気にさせられる。

しかしこの距離感こそが、とっちらかったロダンの人生を語るのに必要だったといえる。40才過ぎまで世間から顧みられなかったことから生じたコンプレックスと屈折、彫刻家としてともに美しいものを目指す理想的な若い恋人カミーユ・クローデルにめろめろになる一方、苦しい日々を支えてくれた内妻ローズがもたらす平穏を捨てきれず、優柔不断で非力な立場につい甘んじてしまう。いい女達には手を出さずにおられないし、こんこんと湧き出るエネルギーに身をゆだね、ひたすら描いて作って―なんともぐちゃぐちゃ。が、ぐっと引いた視点から眺めると、「芸術家だからしかたがないか」と見ない事にしていた「裏」ロダンとも向き合える。ヴァンサン・ランドンが演じる権威を感じさせないロダンを見ていると、この人なりにせいいっぱいやってきたのだななどと思ってしまう。とても肯定できないけれど。

ウィキペディアに列記される類の大きな出来事とおなじぐらいの熱意をもってロダンの日常がていねいに描かれていることも、ロダンへの眼差しを変えてくれた。倉庫のような粗末な空間に粘土と石膏の大バケツ、作りかけの作品、手足のパーツがあちこちごろごろしているアトリエ。そこらへんで奇抜なポーズを取る、きれいなはだかの娘たち。華やかな場所とは縁遠い、汚れた仕事着姿。天才と呼ばれた芸術家も、私たちと変わらず何の飾り気もない日々を積み重ねている。遠いのだけれど、私とは違わない人がそこにいる。

静かなトーンの映画の中に強い色を持ち込んでいるのが、カミーユ・クローデルとの物語だ。『サンバ』で勝ち気なボランティア嬢を好演したイジア・イジュラン(元々はシンガーで兄はアルチュール・H、女優のキャリアは浅く本格的な映画出演はまだ数作目というからはびっくり)がスクリーンに登場させたクローデルは、伝説の麗しきアーティストではなく今のおっさんも惚れてしまうような活力と内面からの魅力に溢れた娘(こんな感じではななかったのかしらんと想像していた通りのクローデル像で、個人的に大いに納得)。ロダンが恋に落ちるのは当たり前―。

だから、彫刻家同士という特殊な立場ではあるものの、今も世のあちこちにいるだろう、同じ理想を目指して歩む惚れた同士の男と女としてロダンとクローデルは描かれている。甘いささやきから身を切るような言葉の応酬まで、二人の間の愛憎は実在の有名人という断り書きをはずしてもLoversの物語として見応えがある。

この映画の中で最も密度の濃い瞬間も、二人の物語の中にある。ピュアな蜜月から少しづつ醒めてゆく前のロダンとクローデルが、クローデルの新しい作品、男女の踊る姿をモチーフにした「ワルツ」を前にしてぎこちなく踊る。踊れないくせにとからかわれつつも手を取り腰を抱くロダンと、相手に身を委ねおぼつかなくメロディを口ずさむクローデル。数分もない短い場面だが、あからさまな「愛する二人」のショットをどんなに重ねても作り得ない、言葉にできない万感の想いが凝縮されている。こういう瞬間に会えるからこそ、映画はやめられない。

細部の美しさにもふれておきたい。室内の調度やろうそくの灯り、風になびくカーテン、といった何気ないものにも目がいく作りになっている。時代物映画にありがちな、今とは違う世界だったのねと認識させるだけの時代風俗のリアルな再現とは趣向を異にする。ロダンの生きた時代に今の観客を自然に溶け込ませる配慮のようにも感じる。

映画は最後の最後に観客を思わぬ所へ連れて行く。びっくりされる方も多いかと思う。そしてこうも思われるかもしれない。これまで劇場の暗闇でひとときをともにした、100年前にこの世を去った男と私とはつながっているのだと。

映画館に行く前に、ちらりとウィキペディアなぞ眺めておかれることをおすすめします。よりすんなり映画が入ってきて、深く楽しめるかと。

作品情報

■タイトル:『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』
■コピーライト表記: © Les Films du Lendemain / Shanna Besson
■配給:松竹=コムストック・グループ
■11月11日(土)より新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマほか全国公開!

本年度カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作
近代彫刻の巨匠、ロダンの愛と苦悩に満ちた半生を描く。

《考える人》《地獄の門》で名高い“近代彫刻の父”オーギュスト・ロダン。没後100年を記念し、パリ・ロダン美術館の全面協力のもと、『ポネット』の名匠ジャック・ドワイヨンが、カミーユ・クローデルと出会ってからの愛と苦悩に満ちた彼の半生を描いた、『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』が11月11日(土)新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマほかにて全国公開の運びとなりました。 今年11月に没後100年を迎える、“近代彫刻の父”オーギュスト・ロダン(1840~1917)。《地獄の門》や、その一部を抜き出した《考える人》で高名な19世紀を代表する芸術家である。彼は42歳の時、弟子入り切望するカミーユ・クローデルと出会い、この若き才能と魅力に夢中になる。 本作はロダン没後100年を記念し、パリ・ロダン美術館全面協力のもと、『ポネット』(96)、『ラ・ピラート』(84)の名匠ジャック・ドワイヨンが、ロダンの愛と苦悩に満ちた半生を忠実に描いた力作である。 『ティエリー・トグルドーの憂鬱』(15) でカンヌ国際映画祭、セザール賞の主演男優賞をW受賞したフランスきっての演技派ヴァンサン・ランドンがロダンを演じる為に8カ月間彫刻とデッサンに没頭しロダンの魂までも演じきり、“ジャニス・ジョプリンの再来”と呼ばれる『サンバ』のイジア・イジュランがカミーユを好演。2017年カンヌ国際映画祭のコンペティション作品部門にてお披露目され話題となった。
監督・脚本:ジャック・ドワイヨン 
撮影:クリルトフ・ボーカルヌ 
衣装:パスカリーヌ・シャヴァンヌ
出演:ヴァンサン・ランドン、イジア・イジュラン、セヴリーヌ・カネル 
2017年/フランス/フランス語/カラー/シネスコ/120分
配給:松竹=コムストック・グループ 
© Les Films du Lendemain / Shanna Besson



posted date: 2017/Nov/13 / category: 映画

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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