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FRENCH BLOOM NET 年末企画(3) 2015年のベスト本

text by / category : 本・文学

第3弾は2015年のベスト本です。FBN のライターの他に、文芸評論家の陣野俊史さん、NHKフランス語講座でおなじみの國枝孝弘さんに参加していただきました。冬休みの読書の参考になれば幸いです。

陣野俊史(文芸評論家)

ミシェル・ウエルベック『服従』(大塚桃訳、河出書房新社)
Jean-Philippe Toussaint, Football, édition de minuit
Laurent Binet, La septième fonction du langage, Grasset
■話題の書ばかり選んでみました。今年のフランスを語るうえで、1)は外せないかな、と思います。ウエルベック、あんまり好きじゃないけれど、無視はできない。3)は、誰がロラン・バルトを殺したのか、という副題(?)が付いているんですが、まあ、ユーモア小説として……とか書いたら、著者は怒るだろうな。バルト生誕100年をあてこんだ、なかなかあざとい小説。2)は、1998年からトゥーサンが書き継いできたサッカーをめぐるあれこれのエッセイをつなげたもの。スポーツ関連書籍に贈られる賞を受賞したみたい……といった小説外のことよりも、あのう、オレが出てきます! 2002年のあたり。「ヴァレリーの研究者Z」とフットボールをめぐって対談した……というくだりがあって、「Z」はオレのこと。現状、ヴァレリーの研究者にはなっていないし、「Z」じゃなくて「J」なんですけれど、と訂正したい気もするが、まあ、いいか。

服従Football: RomanLa septième fonction du langage: Roman

不知火検校(FBNライター)

岡田温司『映画は絵画のように―静止・運動・時間』(岩波書店)
■今年、最も驚かされた一冊。既に美術批評の分野で次々と興味深い本を刊行されている岡田氏が初めて本格的に映画を題材に取り上げました。ゴダール、ウェルズ、ヒッチコック、アントニー二などの代表作と膨大な数の絵画作品を比較し、映画作家が意識的・無意識的に心の内に宿す「絵画への意志」を鮮やかに解き明かす名著です。
アンドレ・バザン『映画とは何か』上下巻(野崎歓ほか訳、岩波文庫)
■映画批評を塗り替えた歴史的名著の新訳が遂に刊行。難解な原文を明快な訳文によって見事に解き明かしており、翻訳者の一人野崎氏の新著『アンドレ・バザン―映画を信じた男』(春風社、2015年)とならんで、今後、バザンを論じる者、映画を論じる者にとっては必読の書となるでしょう。
エリック・ロメール&クロード・シャブロル『ヒッチコック』(木村健哉ほか訳、インスクリプト)
■世界で初めて本格的にヒッチコックを論じた本が遂に翻訳されました(原著は1957年刊行)。著者である二人の若い批評家は後にヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督となりますが、その才能の片鱗が随所に窺い知れる精緻な研究書です。訳文も訳注も素晴らしく、本格的な映画研究者による優れた解説が読解の助けになります。
野村正人『風刺画家グランヴィル』(水声社)
■長年に亘って19世紀の出版文化の研究を続けて来られた仏文学者の野村正人氏による風刺画家グランヴィルに関する研究書。画家と作家、および編集者の執拗な戦いぶりを知ることができ、なかなか簡単にはその本質を理解することができないフランスの出版文化の世界と歴史を身近なものとして感じ取ることができる良書です。
森本淳生(編)『<生表象>の近代―自伝・フィクション・学知』(水声社)
■2014年2月に一橋大学で開かれたシンポジウムの記録がついに書籍となって刊行されました。2段組みで480頁超。仏文学、独文学、日本文学の垣根を超えて結集した錚々たる研究者たちによる論考が全23本。これだけ読み応えのある論文集というのはなかなかないでしょう。現在の文学研究の最高度の水準を肌で体験できる一冊です。

映画は絵画のように――静止・運動・時間諷刺画家グランヴィル―テクストとイメージの19世紀アンドレ・バザン:映画を信じた男

bird dog(FBNライター)

1. 『アル・ゴア 未来を語る』
■昨年出た本ですが、ようやく読みました。自動化による生産性の向上と雇用拡大の反比例、金融情報の高速化による人間の疎外、人口増加と自然破壊の比例関係、ゲノム工学の発達による人間のデジタル化、地球温暖化防止のための発電オルタナティブなどなど、グローバリゼーションの現状と課題を、豊富な実例とともに、大変よくまとめてあります。自然を無料の資源庫と見なすことができるのは、あくまで自然の回復力が開発を上回る程度においてであり、そうでない場合には、「企業の会計処理であろうと、国家の会計処理であろうと、経常収益と資本からの引き出しとの基本的な区別は不可欠である」という指摘は重要です。
2. リチャード・パワーズ『オルフェオ』
■20世紀音楽の歴史と、ある作曲家の挫折と再生の人生が交錯する、というところまでは、ありがちなテーマですが、そこにDIY生物工学(自宅でDNA作成)というモチーフを滑り込ませることによって、意外な方向へ話が展開します。「音楽は何かについて語るものではありませんと彼は言う。音楽自体がその“何か”なのです。」これが分かれば、20世紀の前衛芸術の意義はだいたい分かりそうです。個人的には、大好きなメシアンの『世の終りのための四重奏曲』のエピソードが引用されていたこと、全然知らなかったハリー・パーチの音楽を知ったことが、嬉しかったです。
3. セサル・アイラ『文学会議』
■10年前、アルゼンチン館の友人が勧めてくれた作家のうち、ボラーニョはここ数年でブレークし、続いてアイラの小説の翻訳も出始めました。次はマリオ・ベラティンか、それともコサリンスキーか。この小説もクローン技術を扱っていますが、パワーズに較べると荒唐無稽。むやみに理屈っぽい前半部と、あまりに現実離れした光景が広がる後半部の落差がすごく、ただ驚きました。何なんでしょうね、これ。もう一度読み返さないと、よく分かりません。

アル・ゴア 未来を語る 世界を動かす6つの要因オルフェオ文学会議 (新潮クレスト・ブックス)

國枝孝弘(大学教員、元NHKテレビ、ラジオフランス語講師)

■2015年は戦後70年にあたる。50年でも100年でもない、多少中途半端な数字は、しかし、歴史の継続性を考える上でとても重要である。なぜならばこ れから10年、すなわち戦後80年までの今後10年間において戦争体験者はほとんどいなくなるからである。その意味で今年は体験者の直接の言葉を聞きうる 最後の年代に入ったという事実を刻む年である。その2015年に文学研究と社会学研究で、戦争を考え続ける労作が出版 された。
1. 村上陽子『出来事の残響 原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会)
■広島、長崎、沖縄の戦争体験に根ざす数々の 文学作品を、今現在から読み直す。それはすなわち「非体験者」が戦争文学を読むことの意味を問う作業となる。本作は「体験者」と「非体験者」が、どのように戦争という出来事を分有できるのか、その可能性を論考した作品である。体験者を特権化しないその姿勢を貫くことができたのはまさに戦後70年経っているからであり、今後も戦争文学を語りうるとすれば、この本が一番の基盤になるであろう。
2. 直野章子『原爆体験と戦後日本 記憶の形成と継承』(岩波書店)
■被爆者とは誰か。彼らの言葉に寄り添い、学者として資料=体験談を読み込むことで、法的、社会的言説によって翻弄された原爆体験者たちの人生から、何を受け継ぐべきかを考察した論考。原爆体験記を丹念に読み込みながら、著者がすくい出したのは、歴史言説からは落ちこぼれてしまう一人一人の言葉、すなわち「お国のため」や「平和の希求」といった大義へと体験の記憶を社会化、歴史化することを拒む言葉であった。それは本当にあったのは惨苦の、悲しみの言葉であり、喪の永続である。

出来事の残響―原爆文学と沖縄文学原爆体験と戦後日本――記憶の形成と継承

exquise(FBNライター)

高山なおみ『日々ごはん』
■今年の後半からずっとこの料理家さんが毎日綴っていた日記を読み続けている。彼女の文章を初めて読んだとき、武田百合子の作品を思い出したのだが、後で高山さん自身も大好きだとを知った。先日関西に来られてトークショーまで行ってしまいました。
よしながふみ『きのう何食べた?』
■漫画なんて集中して読むなんて何年ぶりだろう。弁護士と美容師のゲイのカップルが日々ごはんを作って食べている、ただそれだけの話なのだけれど、巻を重ねるにつれ時が進み、リアルな問題も次第に浮上してきてこの先どうなるのかまだまだ気になります。もちろん毎回登場するごはんも美味しそう。私ってほんと食いしん坊だな。
吉田知子『吉田知子選集 日常的隣人』
■数年前、何かのアンソロジーでこの人の短編を読んで衝撃を受け、なぜそれまで彼女の名前を知らなかったのか不思議なくらいだったが、最近少しずつ再版されたり選集が出たりして世間でも再認識されているようで嬉しい。この選集にも日常に潜む不条理の穴に足を突っ込んでしまったかのような、奇妙でおかしな物語が満載。

日々ごはん〈1〉きのう何食べた?(10) (モーニングコミックス) 吉田知子選集II 日常的隣人

GOYAAKOD(FBNライター)

井上荒野 『夢のなかの魚屋の地図』
■Wowwowで映画『全身小説家』を見てしまった事からたどりついた井上光晴の愛娘、荒野さんのエッセイ集。、旨い酒と妥協なき手料理が毎日並ぶ食卓にこだわる父と、料理の才能と食への強い情熱で夫の無茶な要求をみたすものを日々作り続けた母。そんな二人のもとで育まれた感性で書くところの「おいしいもの」には目を見張るものあります。マンガをはじめ食に関する読み物は増殖する一方ですが、「おいしい」という感覚の本質をここまでずばりついたものは知りません。数頁ほどの小品が特にすばらしい。喩えるなら素晴らしい一口を咀嚼し飲み込むまでの喜び、でしょうか。装丁も美しく贈り物にしたくなる一冊です。
星野博美 『みんな彗星を見ていた—私的キリシタン探訪記』
■はるばる海を越えて日本人の中に分け入り、やがては権力者の手にかかって命を落とした南蛮の宣教師達。その姿に今を生きる一人の日本人として迫った労作。彼らが生きていた頃はポピュラーな楽器だったリュートを習うことにはじまり、長崎にある終焉の地を辿り、ついにはその故郷であるバスクまで行ってしまった著者のひとり旅を通じ、生身の人として宣教師達と出会うことができました。バックパッカーのようにタフで、野心と、神のために死ぬことを怖ぬ情熱を胸に未知の世界へ飛び込んできた若者たちと。特に心を動かされたのがバスク訪問のくだり。日本で殉教した宣教師の出身地である村の人々と、日本からきた謎の異人である著者が出会い、亡き人を巡って語り合うのですが、村にとって今でも大事な存在である宣教師を村人同様に慕い一緒に命を落とす日本人がいた事を知ったのをきっかけに心から打ち解けあうのです。向き合い、わかりあうことの意味に胸があつくなると同時に、危険を承知で日本に潜伏し非業の死を遂げた宣教師達の胸の内にもつながったように思いました。殉教という栄光ではなく、文化の厚い壁を超え人と人してつながったキリシタンとともにありたいと願ったことによる死ではないかと。人々を結びつけた「信仰」についても考えさせられます。若桑みどり女史の名著『クアトロ・ラガッツィ』を手に取られた方にはぜひ一読をおすすめします。
朔ユキ蔵 『帰ってきたサチコさん』 
■タイトルと表紙につられて買った短編マンガ集。戦前へタイムスリップして家庭を持ち十年暮らした後、10ヶ月後の現代へ舞い戻った女子大生と、彼女に再び会うことだけを願い長い歳月を生きた夫の物語である表題作を始め、大なり小なりの運命の変転に巻き込まれた人々の物語が並びます。帯の文句によると「出会いとわかれ」がテーマだそうですが、運命に流されて迎えた結果に主人公達がどう落とし前をつけたのかに、力点が置かれているようです。どんな形であれ踏み出された一歩に揺さぶられます。何十年ぶりに空を飛ぶって気持ちいいかも、とも思わせてくれた一冊でもあります。読みながらつい口にしたくなるネームも印象的です。

夢のなかの魚屋の地図みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記帰ってきたサチコさん (Flowersコミックス)

superlight(FBNライター)

永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年―回想の朝日新聞』
■一冊紹介させていただきます。読書をしているとき、残りページが少なくなってくると寂しく感じることがあるかと思います。今年のぼくはでそのような体験をさせてもらいました。巷では「朝日新聞批判」の本としてとらえる向きもあるようですが、一新聞記者として日本の政界財界の大物たちと接したときのエピソードが淡々(筆者の印象や感傷は極力抑えられています)と記述されている点にぼくは引きこまれました。「あとがき」で「じっさい不肖も記者稼業で話を聞いた何万という堅気の職業人がみなえらく見えてならなかった」と述べる永栄さんが、タイトルに「ブンヤ」と入れたのは自己卑下でもなんでもなく、「ブンヤ」の仕事をなんとかやり終えることができたという自負も含まれているんじゃないかと思います。
■また、日本のメディアを語るとき、なにかと議論の対象になる朝日新聞ですが、本書p40において朝日の論説主幹であった田中豊蔵氏がこう述べています。「でも、現実を踏まえつつ、ほんとの意味での建前、あるべき姿を絶えず問い続けていかないことには、日本から「建前」という言葉もなくなって、どうしようもない国になると思うよ。朝日はたしかに、手続きや建前に走るキライがあるかもしれない。現実というものの重さに、もう少し思いをいたしたほうがいいかもしれない」。報道機関の論説主幹が「現実というものの重さに、もう少し思いをいたしたほうがいいかもしれない」とはっきりこう述べるのは、なんだかなぁと思います。

ブンヤ暮らし三十六年: 回想の朝日新聞水曜日のアニメが待ち遠しい:フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす映画で歩くパリ (SPACE SHOWER BOOKs)

cyberbloom(FBN管理人)

トリスタン・ブルネ著『水曜日のアニメが待ち遠しい』
■よくあるアニメ本かと思っていたら、意外に骨のある内容だった。特に面白かったのは、フランスに日本のアニメが浸透していった時期と、フランスにもともと住む中間層と他国からやってきた移民を社会実験的に混ぜ合わせるような都市政策がフランスで進められていた時期が重なり合うという、日本からは見えにくい事実。著者が住んでいた郊外のトルシーという町には、フランスとは文化圏が大きく異なるアフリカ系と東南アジア系の移民が多く、軋轢を生みやすかった。この軋轢が日本のサブカルチャーの受容を考える上で重要で、それは文化の異なる子供たちの軋轢を緩和する重要な媒介になっていた、という指摘は目からウロコだった。また、著者が初めて日本に来て、町を歩いていたとき、踏切の遮断機の音が耳に飛び込んできて、その瞬間、とても懐かしい感覚に襲われ、頭が混乱したと書いている。フランスに遮断機があるわけがなく、それは日本のアニメを通して植えつけられた記憶だった。以前、ダフトパンクが「日本は第二の故郷だ」と言っていたが、それはこのような深い経験と実感に支えられたものだったわけだ。
■ジェニファー・L・スコットの『フランス人は10着しか服を持たない』が、日本の2015年度上半期1位のベストセラーを記録。フランス関連では異例の売れ行き、社会現象的なレベルに。フランス人が依然と一定のブランド力を保持している証しなのでしょうか。そしてフランス人女性が好きなのはアメリカ人と日本人。
■ジャン・フィリップ・トゥーサンが、マリーという女性の四季を描写した奇妙な物語シリーズを書いていましたが、”Nue”という作品でその幕を閉じました。翻訳が待たれます。
■フランソワ・トリュフォーの没後30年を記念して、『トリュフォー 最後のインタビュー』(蓮實重彦、山田宏一著)が出版されました。その他、『映画で歩くパリ』(佐藤久理子著)は、ゴダール『はなればなれに』からリンクレーター『ビフォア・サンセット』まで、パリの映画スポットを紹介。またパリジャンの監督、ゴンドリー、クラピッシュ、ジュネのおすすめスポットも。
じゃんぽーる西さんの『モンプチ 嫁はフランス人』 が7月8日に、相方の西村・プぺ・カリンさんの『フランス人ママ記者、東京で子育てする』が7月25日発に発売。
■『「ベルサイユのばら」で学ぶフランス語』が10月20日発売。池田先生直々の執筆で、「さあ、あなたもオスカルと一緒に初級フランス語を学んでみませんか?」(笑)。
■ピエール・ルメートルが来日し、日本各地でサイン会や講演会を行う。『天国でまた会おう』(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)が 10月16日発売。同作は推理小説ではなく第1次世界大戦を舞台にしたゴンクール賞受賞作品。フランスは従来の文学だけでなく、ミステリーの分野でも注目。

天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質モンプチ 嫁はフランス人 (フィールコミックス)



posted date: 2015/Dec/24 / category: 本・文学
cyberbloom

当サイト の管理人。大学でフランス語を教えています。
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