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『アグリゲーター 5年後に主役になる働き方』を読む

text by / category : 本・文学 / 政治・経済

ノマド論の先駆者であるジャック・アタリは裕福な勝ち組ノマドを「ハイパーノマド les hypernomades 」と呼んでいる。彼らは自営業者、広義のフリーランスであるが、世界を見渡してもせいぜい数千万人しかいないエリートたちだ。具体的に言えば、金融業や企業の戦略家、保険会社や娯楽産業の経営者、ソフトウェアの開発者、法律家、作家、デザイナー、アーティスト、オブジェノマド(モバイルの類)の開発者たちである。一方、定住民でありながら超ノマドに憧れ、ヴァーチャルに模倣する40億人の「ヴァーチャルノマド les nomades virtuels 」と呼ばれる人々がいる。彼らは国境を越えた企業の移転や労働者の移動という世界のノマド化の中で賃金が減らされ、下層ノマドに転落する危機にさらされている。

163の比

アグリゲーター 知られざる職種 5年後に主役になる働き方このようなアタリの世界的な分類は、日本国内の状況と重なり合うものではないが、『アグリゲーター』の著者は、いろんな分野に出現する象徴的な1:6:3の比率を強調する。今の日本の現状を端的に指し示す最も重要な163の比は
「すでにクローバルな競争に巻き込まれているグループ」:
「遅かれ早かれそれに巻き込まれるグループ」:
「クローバルな競争に巻き込まれにくいグループ」
であろう。最初の1割は、先に述べたハイパーノマドやグローバルエリートと呼ばれる、どんな仕事も一人でこなし、組織には依存しない、どこでも生きていける人々である。経済的にも能力的にも完全武装していて、グローバル化の波をものともせず、むしろそれを利用して稼いでいる。一方、最後の3割は、ジャック・アタリの言う仕事を求めて移動(移民や出稼ぎ)せざるを得ない下層のノマドに相当するのではなく、20世紀的な生き方を維持できる、日本社会の変わらない部分で生きて行ける人たちだ。「日本人相手に日本語で仕事を続けられる人々」とも言えるだろう。具体的に言うならば、高齢者向けのサービス、パブリックサービスに従事する、公務員や介護士や看護師などだ。増え続ける高齢者をもっぱら相手にするとすれば、医者の多くもこれに含まれるかもしれない。

問題は残りの6割の人たちだ。彼らは遅かれ早かれグローバルな競争に巻き込まれざるを得ない。彼らは1割の人たちのように独立はしていないが、自立した個人として、会社組織と社会という器をうまく活用してサバイバルしていく必要がある。プロフェッショナルな力を身につけ、それを会社や社会に提供し、自分に足りない部分はそこから援助を受ける生き方と著者は説明している。グローバルな競争に巻き込まれるということは、様々な局面で外国語を駆使する必要も出てくる。最近、英語がどこまで必要なのかという議論があるが、この6割には外国語が必要ということになる。163の比は日本における大学院卒:大学卒:高卒の比率でもあるのだが、多くの大卒の人間がこの生き方を選ばなくてはならなくなる。そしてグローバル化が生み出す3つの層へ収斂するスピードが確実に早まっている。

人材と人財

問題の6割の人たちは人材ではなく、人財として生きなければならなくなる。著者は人材に対して、人財を対比させるが、この違いはなんだろうか。まず人材はコストであるのに対し、人財はアセット=資産である。人件費の圧縮というとき、社員は人材として扱われ、削減の対象になる。

社員を人材と考えるのが、ニュートン型組織である。精巧に組み立てられた機械は決まった働きかたをする。一定の操作をすれば、それだけの働きをする。この操作と物体の動きの関係は物理学的にはニュートン力学で、ニュートン型組織は決められた指示に対して決められた動き方をする集団と定義できる。仕事をするのが誰であっても、確実に一定の成果を生み出せるように業務プロセスとそれを支える仕組みができあがっている。

工場でもコンビニでもファーストフード店でも基本的には誰がやっても大きくサービス品質に差がでない。そうなるようにマニュアル化やプロセス化が施されている。このモデルの組織においては規模と効率によっていかに利益を出すかが最大のテーマになる。先ほど述べたように、この組織では誰がやっても同じなので人件費は安いに超したことはない。

そこで働く人はコスト、つまり人材になる。人材が構成する組織では、プロセスの改善、効率化が重要である。そして、ある決まった商品やサービスを安価に大量かつ安定的に提供するのに強烈なパワーを発揮する。

一方、ダーウイン型組織は真逆の動き方をする。これは機械というよりは、適応力の高い生き物のようだ。この組織では確立されたプロセスの改善=効率化によって業績を向上させるのではなく、事業の開発および運営の過程で、市場に密着したトライ&エラー=試行錯誤を徹底的に行うことによって継続的に進化を目指す。近年のIT業界、ウエブ業界、電機業界がそうだ。

ニュートン型との決定的な違いは、業務プロセスそのものを維持し、改善することが事業の主軸に位置づけられていないことだ。業務プロセスは柔軟に形を変え、別のものに置き換えられて行く。つまり、どんなにプロセス化してしても、結局は人の力に依存しなければ突破できない分野こそが重要になる。そこに焦点があてられるとき、人財が最も力を発揮する。既成の枠組みや制約にとらわれることなく、新しい価値を生み出し、それを駆動する仕組みをデザインするのに適した能力を持つのが人財なのだ。そして社員の人財としての成長は企業の発展に直結する。

人材は管理されるものだが、人財は活用の対象である。これが決定的な差異だ。著者はどちらが良いと言っているわけではなく、ふたつの異なった性質の組織があり、その特徴をきちんと理解することが企業の運営にとって重要だと主張している。しかし、これからの時代にはダーウイン的な組織を全面に出して行くことが必要になることは言うまでもない。事実、日本には過去の成功モデルにしがみついて身動きが取れないニュートン型企業が多い。そして個人もルーティンの仕事を管理されることに慣れきっている。これが日本企業が変われない大きな理由のひとつだ。

アグリゲーター

この本のタイトルでもあるアグリゲーターとは、6割の人々の目指すべき自立的な新しい働き方を実践している人たちのことである。そして企業の成功の鍵を握っているのも彼らである。これからの企業モデルは機械的に導入できるものではなく、主役は個人で、いかに彼らの能力を引き出すかに企業の命運がかかる。短期間に社内外の多様な能力を集め、それらを掛け合わせて、徹底的に差別化した商品やサービスを作り上げる。これがアグリゲートだ。

有能なアグリゲーターは情報力と技術力を駆使し、全体を俯瞰できる上位の次元でものを考える。ゴールを把握し、そこに向かって今の自分は何ができて、何ができないか理解できるビジョンニング力がある。しかしどんな有能なアグリゲーターであっても、変化し続ける情報や技術の交差点に立ち続けなければ、その価値はあっという間に失われてしまう。それゆえ彼らは継続的に学び続けることを怠らない。

彼らのようなプロフェッショナルは代替不可能という意味で「コスト」ではない。人財として、アセットとして認識される。もちろん、誰もが人財になれるわけではない。これから人材の価値はどんどん下がり、人材の給料は安くなるか、不要になる。6割の人々は人財になれなければ、仮想ならぬ下層ノマドに転落することになる。人財として活躍するには尋常ではない努力が必要であり、熾烈な競争が待ち受けていることも事実だ。

もちろん、アグリゲーター的な働き方は、決して新しいものではないし、近年の労働形態の変化として常に論じられてきたものだ。その背景には、企業が永続的な組織でなくなり、終身雇用制や年功序列制を保証できなくなったことがある。経営環境が変化すると企業も変わらざるをえない。めまぐるしく移り変わる世の中の価値観に企業が継続的に対応しなければならない。企業がグローバルな競争を生き抜くためには看板を自在に取り換え、目標やシステムを柔軟に変化させることが重要になる。だから、アップルやグーグルのような企業ですら、10年後に何を作っているのか、どんなサービスを提供しているのか、どの部門が成長し、どの部門が切り捨てられるのか誰にもわからない。

例えば、シリコン・バレーの思想を集約した「カリフォルニア・イデオロギー」はすでにこのように言われている。

これらのスキルを持った労働者はいわゆるヴァーチャル階級を形成している。認知科学者、エンジニア、コンピュータ科学者、ビデオゲーム開発者などの、テクノインテリゲンチアである。彼らは生産ラインや機械に置き換えることができないので、社長たちは期限付きの契約でそのような知的労働者を組織する。これらのハイテクアルチザンは給料が良いだけでなく、仕事のペースと仕事の場所に対してかなりの自立性を持っている。

企業が柔軟に世の中の変化に対応するには、プロジェクトごとに人を集めるのが合理的なやり方だ。まさに終身雇用制度や年功序列制度によって人材=コストを抱え込むことは企業にとってはあまりにリスキーなことなのだ。これを雇われる側から見るならば、『ノマドと社畜』の著者、谷本真由美氏も述べているように、これからはサラリーマンであっても、自分を「自分商店」や「外人部隊の傭兵」と考え、つねにスキルを磨いていれば、突然訪れる現実に対処できる。ノマド的に働くには、専門知識やスキルを持ちつつ、ひとりで回すラーメン屋台のように、営業、事務処理、対人能力も必要とされるのだ。

モチベーションの重要性

これまで企業は個人に手放しで任せられないから管理し、個人も任されても責任が取れないと考えてきた。つまり企業と個人の関係は不安と不信の上に成り立っていたと言える。管理によって向上するモチベーションは、せいぜい工場のような画一的なプロセスにおいてのみである。企業は、そのような消極的な相互依存を脱却し、個人の自発性に働きかけ、成果を出せる環境を整える必要が出てくる。

企業が人財を活用するには、さらに能力を伸ばすような機会を与え、仕事を正しく評価することが必要になる。それは報酬の額ではない。リチャード・フロリダが『グレート・リセット』の中でも書いていることだが、リーマンショック以降、最も敬遠されているのが金融業で、経営コンサルタントの仕事も減少した。これらの職業は高額の報酬を得られる職業の最たるものだったが、今日のアメリカの高学歴の若者たちはお金よりも、やりがいを選ぶようだ(最近のアメリカの株高で多少事情が変わっているかもしれないが)。リーマンショックから学び、官僚や高額報酬の金融の仕事を蹴って、NPO に入る学生が増えているという。

能力が高く優秀な人間は自己をモチベートできる。そういう人を組織の中にとどめるのは困難だが、それでも企業が企業の利益のためにモチベーションを上げさせるのではなく、個人がモチベーションをあげる環境を整えることで、結果的に企業の成果を生み出すスタイルに変えて行く。その方向に時代は確実に動いている。今最も足りていないのは金融資本や実行力ではなく、何よりもアイデアだという。新しい価値と言い換えることもできるだろう。アイデアを資本として組み込むために、アグリゲーターと企業は新しい共存関係を結ぶのだ。

「人財育成」のためには教育も変わらざるをえないだろう。またこれまでの大学受験に収斂する受験勉強において、何が育まれたかと言えば、与えられた課題を着実にこなす勤勉さと事務処理能力である。つまりテストの点数や偏差値という共通の尺度によって測られる均質な能力は、ニュートン型組織の「人材育成」には大いに役立ったのである。しかし人財を育てるには別の教育システムが必要になるだろう。



posted date: 2014/Aug/11 / category: 本・文学政治・経済
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